ルポ・被災農家の「いま」

2012年6月7日

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 「ある程度覚悟はしてたけど、想像以上だった。私らの予想では、せめて例年の半分くらいの客足は望めると思ったんだけど。そんな甘いもんじゃなかった」

 原発事故と津波による被害を乗り越え、2012年1月、例年の半分の規模でシーズンインを迎えた福島県相馬市にある“和田観光いちご園”。同園の組合長・山中賢一郎さん(67歳)は、正直な気持ちを吐露した。同園のいちご狩りの客足は2012年シーズン、例年の4分の1程度にとどまった――。

津波で約半分の農園が流された

山中さんを中心に結成した「和田観光苺組合」

 和田観光いちご園は、東北地方で一番最初に始まったいちご観光農園として知られ、1月から5月末までの開催時期に、毎年3~4万人のお客さんが訪れる。いちご農家の山中賢一郎さんが周辺のいちご農家に声をかけ、約15の農家が集まって「和田観光苺組合」を結成。自身が組合長となり1988年に創業した。東日本大震災前は、13農家で組合は保たれていた。

 和田観光いちご園は、松川浦と呼ばれる南北に伸びる細長い入り江(湾)の近くにあるが、農園は一つに固まっているわけではない。各農家の農園を使用しているため、四方に点在している。

 東日本大震災による津波で“海側の農園”が壊滅的な被害を受けた。

 「約半分の農園が津波で流されてしまった。私のところは山のほうなんで、大丈夫だったけど……」と、組合長の山中賢一郎さんは話す。さらに追い打ちをかけるように、原発事故が襲う。当然、同園は営業を続けることはできるはずもなかった。放射性物質の検査を行った結果、いちごは暫定規制値を下回ったため、相馬市の避難所に配り、2011年の営業を終えた。

立ち上がれる人から立ち上がる

山中賢一郎さん

 2012年に同園を再開させるかについては組合員で意見が分かれた。福島県のりんごや桃がまったく売れない状況を目の当たりにするなか、津波の被害を逃れた農家でも「放射能物質が不検出でも、福島というだけで売れねーべ」という意見が多かった。一方、大きなダメージを受けた農家は、ハウスも無くなり、立ち上がる気力もない状況であった。

 「周りの田んぼは荒れ果てていき、相馬市の住民の気持ちも荒れていく状況だった。それを見て、このまま立ち止まってはダメだと思ったんだ。立ち上がれる人から立ち上がって、いちご農園を再開していくことが必要だと」

 その気持ちを農園が残った農家に伝えると、4つの農家が賛同した。さらに、前を向こうという気持ちにさせる大きな出来事が起こる。全国から30人以上のボランティアが農園や案内所に集まり、瓦礫などの片付けを手伝ってくれたのだった。東京農大の学生が苗作りの手伝いにも来てくれた。

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