Project Syndicate5月21日付けで、英国の政治家、貴族院議員で、経済・歴史学者でもあるRobert Skidelskyが、普遍的価値を持たない中国が米国に代わって超大国となることはなく、また中国もそれを望んでいない、と言っています。
すなわち、唯一の超大国の存在というのは、実は極めて異常なことであり、米国が唯一の超大国になったのは、ソ連の予期せぬ崩壊がもたらした偶然の産物だ。複数の大国がある時は平和裏に、ある時は戦争状態で共存するのが、正常な状態だ。大英帝国も超大国だったわけではなく、「いくつかある世界大国の一つ」だった。従って、問いとして妥当なのは、「中国は米国に取って代わるか」ではなく、「中国は国際秩序への責任感など世界大国としての資質を身につけるか」だろう。
しかし、今の中国を見ると、先ず、国営企業への直接融資や不良債権、過剰貯蓄による不動産バブル、輸出主導経済モデルの終焉など、経済面で脆弱さを抱えている。
もう一つの問題は、政治的価値に関するもので、中国のさらなる台頭は、土地公有制、人口抑制策、金融の抑制等、共産主義の象徴のような政策を廃止できるかどうかにかかっている。
また、こうした中国体制を支えていのが、「君は君、臣は臣」という儒教的人間観であり、また、「動植物も人間も同等」という仏教的世界観だ。前者は不平等性、後者は人権軽視につながる。
こうした中で中国に与えられている選択肢は、西側の価値を受け入れるか、それとも西側の価値から孤立した、中国支配の東アジア圏を作るかだろう。しかし、後者は、米国のみならず、インドや日本などアジアの強国をも挑発することになろう。従って、おそらく中国にとって可能な最良の選択肢は、西側の規範を受け入れつつ、それらに「中国的性格」を加味することだろう。
ただ、どちらの選択肢にしても、中国が米国に「とって代わる」というシナリオではない。また、中国もそれを望んではいない。中国の目的は「尊敬」であって「支配」ではないからだ、と言っています。
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いかにも百戦練磨の政治家であり、英国のトップレベルのインテリであるスキデルスキー卿らしい、極めて知的で興味深い分析です。特に、欧州のJudeo-Christian的精神世界の視点から中国文明の「普遍性の限界」を鋭く抉り出している点は見事です。