Inside Russia

2012年6月21日

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 ロシアの主権宣言記念の祝日にあたる6月12日、首都モスクワで反政権デモが行われた。5月7日にプーチンが大統領に復帰してから最大の抗議活動。昨年12月の下院選不正疑惑に端を発した反プーチンのうねりは一向に冷めやらず、警察発表で約1万5000人、主催者発表で5万人が集まった。

反政権派を強制捜査

 政権は、治安維持を理由に、デモ参加者の違法行為に科す罰金を大幅に引き上げた改正規制デモ法を施行し、この日に臨んだ。露骨なデモ封じに野党勢力は一斉に非難したが、政権が仕掛けたのはこればかりではなかった。

 デモ前日の11日、野党勢力の指導者や有名ブロガーなど反政権派の中心人物に大統領直属の連邦捜査委員会が強制捜査に入ったのである。武装捜査員数十人が組織され、10カ所以上の関連先に踏み込んでいった。

 その家宅捜索先の1つに都心にそびえ立つ瀟洒なマンションが含まれていた。「ロシアのパリス・ヒルトン」との異名を持つ30歳のセレブ女性の自宅。彼女も選挙不正疑惑をきっかけに、地位と名声と高報酬の全てを失う危険に直面しながら、反プーチンへの旗幟を鮮明にしていた。

ツイッターでも積極的に発言するクセーニア・サプチャク
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 クセーニア・サプチャク。1981年、レニングラード市(現サンクトペテルブルグ)生まれ。ツイッターの自己紹介欄には、「テレビ司会者、ジャーナリスト」という肩書きが記されている。

 父親は、初めての民主的な選挙で、サンクトペテルブルグ市長に選ばれたアナートリー・サプチャク。ソ連ペレストロイカ時代の民主改革運動の旗手であり、プーチンに政界進出の道を開いた恩師である。

セレブから「民主的な政治制度」の守護者へ

 クセーニアは、父の再婚相手のリュドミーラとの間に生まれた次女だった。アナートリーは、1991年8月クーデター時に、首謀者の共産党守旧派に見切りをつけ、ボリス・エリツィン(のちのロシア初代大統領)を支持、その後、ロシア第2の都市の市長として、新生国家を仕切る要の人物となった。彼女は多感な10代にソ連が崩壊し、国家再建のために奮闘する父の姿を最も近いところで見てきた。

 プーチンとかつて親しく交際してきた娘は、金髪のお金持ちのイメージを過去のものとし、亡くなった父親がこの国にもたらした「言論の自由」と「民主的な政治制度」の守護者に転身しようとしていた。

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