『チーズはどこへ消えた?』というスペンサー・ジョンソンが出版したミリオンセラーがあります。迷路の中に住む2匹のネズミと2人の小人の物語で、彼らは迷路をさまよった末、チーズを発見します。ところがある日、そのチーズが消えてしまいました。ネズミ達は本能のまま、すぐさま新しいチーズを探しに飛び出していきますが、小人達は、「チーズが戻ってくるかもしれない」と無駄な期待をかけ、現状分析にうつつを抜かしていました。しかし、やがて一人が新しいチーズを探しに旅立つ決心をするのです。
この話は、「変わらなければ破滅することになる」「従来通りの考え方をしていては、新しいチーズは見つからない」「早い時期に小さな変化に気づけば、やがて訪れる大きな変化にうまく対応できる」等、多くの教訓を教えてくれます。そして、今日の日本の漁業問題によく当てはまっています。
常にあると持っていたチーズ(=魚)を食べつくしたために無くなってしまうのですが、まだそこにチーズがあったことを忘れられず、また新たなチーズが現れるのを待っているのです。実際には、無くなる予兆(=魚が減ってきた)があったのですが、安易に見逃し続けた結果、手遅れになり何も無くなってしまうのです。最後には、変化に対して積極的に対応することで道が開け、苦労していく過程で多くの教訓を得ていくお話です。もちろん変化に対応できなければそのままなのですが、それは、今日の日本の漁業そのものかも知れません。
北海道から消えたニシンは何処にいった?
明治時代から1957年にニシンの魚群が消滅するまで、ニシンは北海道の水産業を支えていたといっても過言ではないでしょう。1897年の水揚げは97万トンと、実に100万トン近い量を誇っていました。北海道の主要水揚げ地であった留萌・小樽といった町は、出稼ぎでシーズン中には人口が大幅に増え、町中が活気に満ちていたそうです。数の子を取ったり、獲りすぎたニシンは肥料にしたりと、ニシン一色だったようです。
ソーラン節もニシン漁が盛んであったこの頃に歌われたものです。産卵に来ていたニシンの精子で海は白くなっていたそうです。しかし、1897年をピークに減少を始めたニシン漁は、その後も水揚げの減少が続き、極端な右肩下がりでニシンの資源は消えていきました。ニシンが獲れなくなった要因として(1)乱獲 (2)水温の変化 (3)森林の伐採等の理由が考えられており、近年ではこれらの要因が複数関連していたといわれています。
ニシンがいなくなってしまった状況を表現した歌があります。昭和50年にヒットした石狩挽歌です。2番の歌詞を要約してみると、「かつては100万トン近く獲れたニシンはどこに消えてしまったのだろう。ニシン御殿と呼ばれた建物も今では寂れてしまった。当時はよかった。ニシンが消えてしまったために町の灯は消えてしまった…」という内容です。