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尖閣はなぜ日本領か 歴史的・法的根拠を示そう

尾崎重義 (おざき・しげよし)  筑波大学名誉教授

1936年生まれ。東京大学法学部卒業、同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。国立国会図書館調査及び立法考査局勤務後、新潟大学、筑波大学等の教授を歴任。専門は国際法。

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時間軸の長い視点で深く掘り下げて、世界の本質に迫る「WEDGE REPORT」。「現象の羅列」や「安易なランキング」ではなく、個別現象の根底にある流れとは何か、問題の根本はどこにあるのかを読み解きます。

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 しかし、この解釈には無理がある。文脈では「小東」と「小東島」は明らかに区別されている。台湾島は明確に「小東島」または「小東之島」と表現されている。ここで「小東之島」は「小東にある島」としか読めない。つまり、「小東」は海域を指すのであり、小東洋なのである。具体的には、日本列島から沖縄列島を経て台湾ぐらいまでの列島弧沿いの太平洋海域を指し、大東洋(太平洋中央部)、小西洋(インド洋)、大西洋(今の大西洋)に対比される概念である。その小東海域にある大きな島すなわち「小東島」が台湾島で、その海域に浮かぶ小さな島すなわち「小東小嶼」が釣魚嶼なのである。よって、ここは「釣魚嶼は小東の海(小東洋)にある小さな島である」と読むのが自然な読み方なのである。

 それに、そもそも台湾がまだ中国に帰属しておらず、その存在がほとんど知られていなかったこの時代に、台湾より東に170キロ遠方にある孤島が地理的に台湾の附属島嶼を成すのかどうかが航海者の関心を惹いたとはとても考えられない。

 かくして、文理解釈からも時代背景からも『日本一鑑』の「釣魚嶼 小東小嶼也」の文言より「尖閣諸島は台湾附属の島嶼である」という解釈を引き出すことはできない。

尖閣が中国の領土だった形跡なし

 その他の清代の中国史料からも「清代に尖閣諸島は中国の領土となった」ことを立証する直接的な証拠は見出せない。また引用されている史料の文言は多義的で比喩的な表現が多く、間接的な証拠として見ることも困難である。それに関連して、清代を通じて、尖閣諸島が台湾島の附属島嶼として、中国(国家)によって、また、一般にも、認識されていたことは決して確認されない。中国や琉球(日本)及び西洋人による文献や地図・海図から示されることは、むしろ、19世紀において尖閣諸島が地理的に琉球諸島の一部と見なされていたと推測させる資料(データ)の方がずっと多いことである。

 かくして、中国側史料の分析より得られる結論は、「尖閣諸島は、明・清代を通じて中国の領土であったことはないし、また、台湾の附属島嶼として見なされてもいなかった」というものである。

 日本の尖閣諸島領有に対して、中国側は1970年までの76年間なんら異議を唱えず黙認してきた。1902~32年の時期に中国は、西沙諸島に対するフランスの先占の動きには即時に強い抗議をしているのに対して、同時期、尖閣諸島における日本の主権行使に対しては全く沈黙を保ってきた。第二次世界大戦後の台湾や沖縄の日本からの分離に際しても同様であった。これらの事実は、この時期中国が尖閣諸島を自国領土として考えていなかったことを端的に立証するものである。

 日本が尖閣諸島に対して領有権を有することは間違いない。日本は中国に対して主張と反論を繰り返すとともに、国際社会に対してそのことを積極的に発信していくべきである。それと同時に、尖閣に対する実効支配を強化していく必要がある。

[特集] 尖閣諸島問題

◆WEDGE2013年1月号より

 

 

 

 

 

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著者

尾崎重義(おざき・しげよし)

筑波大学名誉教授

1936年生まれ。東京大学法学部卒業、同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。国立国会図書館調査及び立法考査局勤務後、新潟大学、筑波大学等の教授を歴任。専門は国際法。

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