「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2013年5月7日

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岸 裕司 (きし・ゆうじ)

秋津コミュニティ顧問

1952年東京生まれ。広告・デザイン会社の(株)パンゲア代表取締役、習志野市立秋津小学校PTA会長時に秋津コミュニティ創設、会長を経て現在顧問兼秋津小学校コミュニティルーム運営委員会顧問。文部科学省委嘱コミュニティ・スクール推進員、学校と地域の融合教育研究会副会長、埼玉大学・日本大学非常勤講師、ほか。著書に『「地域暮らし」宣言』『学校を基地にお父さんのまちづくり』(ともに太郎次郎社エディタス)、『学校開放でまち育て』(学芸出版社)など。

 「おっ、大きいぞ!」

 2011年3月11日(金)に勃発した東日本大震災のそのとき、私は東京の会社でお客さんと打合せをしていました。

 午後2時40分過ぎ、ドーンの鈍い響きとともにマンション4階の会社の部屋がグラグラと揺れだし「これは大きいぞ!」と感じました。グラグラは続き、壁の本棚を社員全員で押さえ、揺れがおさまったすきにお帰りになるお客さんとともにマンションを飛び出しました。道路にはビルから出てきた人々がオロオロしながらたくさんいて「ただごとではないな」と思いました。

 会社に戻ると社員はテレビに釘づけ。

 「うわぁ!」「まさか!」「信じられない!」などと口々に言っています。

 つけっぱなしのテレビからは、東北地方太平洋側沿岸部を襲う大津波の様子が次々に映し出されていきました。岩手県宮古市の海岸や仙台市の空港などが大津波に飲み込まれていきます。その地には、私も役員の学校と地域の融合教育研究会の会員仲間が多数いることから、胸がドキドキしてきました。

秋津小コミュニティルームが避難所に

 さて、わが家がある習志野市秋津地域の市立秋津小学校の校舎1階には、地域に開放した生涯学習活動や放課後子ども教室などを住民自治でおこなう秋津小学校コミュニティルームがあります。普通教室3室と元は事務室だった普通教室の3分の1ほどの小部屋との4室です。普通教室1室の2/3は畳です。

 このコミュニティルームが避難所として今回実際に使われました。その様子と、校舎内にコミュニティルームがあることの意義をお話しします。

秋津小学校コミュニティルームに避難してきた人々

 3月11日は、秋津小学校コミュニティルームに約30人が避難してきました。すべて秋津地域や近隣のグループホームのお年寄りと介助者です。

 「余震が恐いから逃げてきた」「みんなと一緒にいたいから」とは、あるホームの介助者の話です。

 その報を聞いて駆け付けた日本赤十字奉仕団秋津分団員は、その状況を『新習志野公民館報』(2012年2月、第50号「東日本大震災 大災害時における炊き出し、その日に起こった出来事」)に記録しています。

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