エンゼルスの大谷翔平選手の活躍に、米大リーグは沸いている。大リーグの歴史は人種差別の歴史とは無縁ではないが、彼の桁違いの活躍を、人種を超えて皆が絶賛している。ただ、球場の外ではそのような訳にはいかないようだ。コロナ禍において、米国全体で「アジアン・ヘイト」の嵐が吹き荒れている。アジア人というだけで、ただ信号待ちをしていたり、地下鉄構内を歩いているだけで、殴られたり蹴られたりするのである。散歩していただけなのに突き飛ばされて命を落とした人までいる。ただ、このようなアジア人差別はコロナ禍を原因として最近始まったことではない。
19世紀末の欧州で誕生した黄禍論という考えがある。欧州の人々から黄色人種と呼ばれた日本や中国といった東アジアの人々が、その数に任せて白人国に襲い掛かり、世界の覇権を握るのではないかという説である。注目すべきは、そのような考えが、欧州列強が無敵であった19世紀末に登場したことだ。そこには1冊の書物と2人の人物が大きな役割を果たしていた。
後の米大統領も賞賛した「黄禍論」
1冊の書物とは、1893年に出版されたチャールズ・ピアソンの『国民の生活と性質』である。西洋文明が世界を席巻していた19世紀末に、西洋没落論を唱えて大評判となった書物だ。ピアソンは、英オックスフォード大学で学びロンドン大学キングスカレッジで現代史を講じた歴史家で、後に豪州に渡って文部大臣も務めた人物である。この書物の中でピアソンは、これまで白人によって虐げられてきた有色人種が、近い将来、欧州を追いやるようになると主張した。彼が特に危惧したのは、中国の人口の多さであった。豪州における中国人の急増が彼に危機感を抱かせていた。中国がその人口の多さを伴って軍事大国化して欧州にとって脅威となるというのである。
この書物は、英国だけでなく、米国でも多くの読者に大きな影響を与えた。後に史上最年少の42歳で大統領となる30代の野心家セオドア・ルーズベルトもその一人である(後の第二次世界大戦時に大統領を務めたフランクリン・ルーズベルトは親戚)。ルーズベルトは本書を読むと「今世紀末における最も傑出した書物の一冊」とする書評を書きあげると共に、多くの米国人の考え方を変えた書物であると称賛する書簡をピアソン本人にも送っている。ピアソンの著書の出版は日清戦争以前であり、日本脅威論はそこには記されていない。しかし、ルーズベルトは後にピアソンの黄禍論を日本に当てはめ、日本を警戒するようになる。