2024年5月19日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2023年1月22日

『バリ島で島流し 2022.10.17~12.15 59日間 総費用22万7千円』

ジャカルタ~バンドン高速鉄道の試運転に関する日本国内の反応

 昨年10月にインドネシアのジョコ大統領が議長を勤めたG20がバリ島で開催された。会議最終日の翌日に筆者はバリ島に到着した。会議日程に合わせてインドネシアでは中国が建設しているジャカルタ~バンドン高速鉄道の試運転が計画されており、インドネシア側関係者はG20に参加した習近平国家主席が会議終了後にジョコ大統領と一緒に試乗することを熱望していた。しかし、習近平主席の日程調整がつかず最終的にオンラインでの試乗という形になった。

 日本国内の新幹線プロジェクト関係者やメディアからは、習近平主席が実際に試乗しなかった背景についてさまざまな報道がなされた。代表的な論調は「技術的不安があり中国製高速鉄道に習近平主席が試乗することに中国側関係者が反対したので、止むなくオンライン試乗に変更した」というものであった。

 そして「そもそも当該高速鉄道プロジェクトは技術と安全性評価から日本の受注がほぼ決まっていたところに、中国がゴリ押しで割込んで来てインドネシア政府も不可解な動きをして最終的に2015年9月に中国が逆転受注した」という背景説明をしていた。さらには中国側の問題により当該高速鉄道は開通予定が大幅に遅延していると解説されていた。

チャングーの空手道場。男子22 人、女子10人。乱取りでは実際に突きや蹴りで相手を打撃する。バリ島には元世界柔道ネシア代表が指導する柔道道場もある

インドネシア若手エリート官僚の中国高速鉄道プロジェクトへの評価

 当時筆者が逗留していたゲストハウスにインドネシア政府の若手高級官僚S氏が宿泊していた。なんとS氏はインドネシア財政当局の対外政策企画を担当する超エリート官僚であった。ジャカルタ~バンドン高速鉄道プロジェクトについて上述のような日本のメディアの反応を説明してS氏の見解を求めた。

 S氏は日本側のメディアの反応が感情的であり、一方的であることにいささか驚いていた。2015年当時、日本は円借款(返済期間30年の低金利融資)を提案し、返済保証のためにインドネシア政府の債務保証を求めた。他方で中国は自らリスクを取ってプロジェクトに投資するいわゆるプロジェクト・ファイナンス方式を提案した。つまりインドネシア政府にとり財政支出がなく、しかも政府債務保証も不要となる。

 当時インドネシアは巨額の対外債務を抱えており、さらに円借款を受け入れることは将来過重な対外債務返済を抱えることになるとジョコ新大統領は深刻に懸念していたという。従って対外債務抑制の観点から中国提案はインドネシアの切実な要求に合致していたとのこと。

 さらにプロジェクトの遅延は主として用地買収に伴うもので仮に日本がプロジェクトを受注しても同様の遅延が発生したはずであり、現状特に技術的な問題があるとは聞いていないと日本メディアの報道を否定した。

 S氏によるとジョコ大統領はインフラ整備に成果を挙げており、対外債務コントロールも目標を十分クリアしている。コロナ禍の2021年でも5%成長を達成している。他方で過去の軍人出身歴代政権は無計画に大型プロジェクトを対外借入でまかない対外債務を肥大させたとS氏は批判した。

 当時から現在に至るまでジャカルタ~バンドン高速鉄道プロジェクトで日本が敗退した根本的原因が円借款及び政府債務保証という従来型の経済援助スキームであったことに日本のメディアはほとんど報道していないように思われる。

 政治的にはエリート軍人のユドヨノ大統領が2014年10月に退任して、新たに庶民から身を起こし実業家となったジョコ氏が大統領に就任した時期である。ネットで調べると2015年当時インドネシアの対外債務はGDPの70%であったが2022年には40%以下となっている。開発独裁型政治を20年以上担ったスハルト大統領が1998年に退陣してからもスカルノ初代大統領の長女であったメガワティ大統領を除いてユドヨノ大統領まで歴代大統領は軍人出身者であった。

 スハルト大統領時代から日本の円借款と政府債務保証による経済援助スキームで大型プロジェクトを独占してきた日本側関係者は対外債務管理を重視するジョコ政権の真意を見誤ったように筆者には思われるが、いかがであろうか。

40年前の日本企業ジャカルタ支店の風景

 筆者は今回40年ぶりにバリ島を訪れた。40年前インドネシアに出張した際にジャカルタ、ジョグジャカルタ、バリをまわった時の記憶がフラッシュバックした。40年前の日本企業はインドネシアで飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

 今でも鮮明に覚えているには、ジャカルタ支店の中年のベテラン駐在員が電話で大阪弁訛りの英語で「あのな~、シップ、カム、トゥモーロー。ユー、カーゴ、オーケーな」とシッパー(輸出業者)を怒鳴りつけていた光景だ。インドネシアの売り手も買い手も日本企業と取引できることは大変なメリットだったのだ。それゆえ上記のような優越的地位を笠に着て相手を見下した態度が丸見えの応対ができたのだ。

 インドネシア政府の大型プロジェクトにおいても日本政府の円借款という経済協力スキームの下で日本企業が独占していた。そして夜のジャカルタの繁華街では日本の企業戦士たちが我が世の春を謳歌していた。

40年間で相対的に低下したアジアにおける日本の地位

 ジャカルタ~バンドン高速鉄道プロジェクトの試運転とほぼ同時期に現地で話題となっていたのはジャカルタ都市高速鉄道(地下鉄)プロジェクト、いわゆるMRTプロジェクトである。MRTは南北線、東西線からなり、ユドヨノ大統領時代に着工した南北線のフェイズ1は既に日本の円借款で完成して運行開始している。南北線フェイズ2も円借款の下で日本企業連合が請け負って建設中であるが、遅延している。フェイズ1、2では日本は円借款に日本技術採用(日本企業からの調達)を条件としている。


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