2024年5月3日(金)

Wedge REPORT

2013年7月3日

 広い公海上で「巨大海中障害物」に衝突する確率は相当に低い。広い太平洋上で小さいヨットとクジラが衝突するのは、見晴らしのよい大地で歩行者が自転車に側面衝突するようなもの、と言えばよいだろうか。

 ヨットの航海にはもっと高いリスクが存在する。沿岸部での座礁や衝突は、いわば渋谷のスクランブル交差点で人にぶつかるようなイメージであり、こういったリスクに備えることや、もっといえば、プロのセーラーでも時折発生する落水事故に備えることのほうが優先度が高い。

冷静

 午前7時35分の第一報を受けたプロジェクト事務局は、直ちに海上保安庁に所在地を伝え救助を要請した。浸水の速さに排水を諦めた辛坊さんは午前8時1分、ライフラフト(救命いかだ)から「船体放棄した」と事務局に電話を入れている。

 辛坊さんは、わずかな時間で、ライフラフトを広げ、船内から予め準備された防水仕様の緊急持ち出し袋を持ち出し、目の見えない岩本さんの移乗を助け、自らも移乗するという動作をやってのけている。

 持ち出し袋には、食料や水のほかに、イリジウム衛星電話とGPS機器が入っており、捜索活動に入った海保側と、随時連絡を直接取ることができた。これらの冷静沈着な辛坊さんの行動は、ベテランセーラーでもなかなかできない難しい動作だったという。

 実は、ライフラフトを実際に広げた経験のあるセーラーは少ないのだそうだ。実際に使用する場面があまり想定されないことに加え、設置が法律で義務づけられ、法定業者の点検などがあるため、ライフラフトを一度広げてしまうともう1度設置するのに多額の費用がかかってしまうこともその原因だ。

 1991年に発生した、「たか」号遭難事故という事故がある。日本からグアムまでのヨットレースに参加した1隻が、高波を受けて転覆。6人のセーラーがライフラフトに乗り移り、漂流した。1カ月にわたる漂流の間に、5人が命を落とし、1人だけが通りかかった貨物船に引き上げられた(唯一生き残った佐野三治さんが『たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い』〔新潮社〕という本を書いている)。

 「たか」号事件では、途中、海上保安庁や海上自衛隊らしき飛行機が上空を飛んだが、ついに発見されることはなかったという。ライフラフトに乗り移ることができても、海保側にきちんと所在地を伝えることは決して簡単なことではないのだ。通信技術の進化もあるが、エオラスがあらゆる事態を想定して最新鋭の通信設備を備えていたことが、2人の救出に大きな役割を果たしたといえるだろう。

救難

 同日18時14分、海上自衛隊の国産救難飛行艇US-2が、2人を無事救出した。2度目のチャレンジだった。US-2は3メートル程度の波高でも海上に離着水できる世界で唯一の飛行艇だが、2人が乗ったラフトが浮かぶ海上はもっと荒れていた。日没前の最後のチャンスを狙って、US-2は果敢なトライを実行した。

 「たった2人の命を救うために11人の自衛隊のみなさんが、犠牲になるかもしれないという思いで着陸してくださった。僕は本当にね、素晴らしい国に生まれたと。ラフトの外にエンジン音が聞こえたとき、あのときほど嬉しかったことはなかったです。本当にご迷惑をおかけしました」

 記者会見で辛坊さんはそういって涙を流した。


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