岸田文雄首相は「若年人口が急激に減少する2030年代までが、少子化トレンドを反転できるラストチャンス」と語り、「異次元の少子化対策」で少子化を食い止めようと躍起になっている。政府は6月に、「こども未来戦略方針」を決定して子育てに対する手厚い経済的な支援、子育てサービスの充実を図ることを約束した。
戦略方針の実施には3兆円台半ばの規模が想定され、岸田首相は子ども一人あたりの家庭関係支出が経済協力開発機構(OECD)諸国でトップのスウェーデンに並ぶと自賛している。
子育てを社会全体で支えることは好ましいことだが、批判も多い。国民には実質的な負担増加を求めないとしつつも、資金の源泉をどこに求めるかは決着していない。その上、大幅な出生率引き上げ効果は期待できないのではないかという専門家の見方もある。
今回の施策の中身として、若者への支援と働きかけが不十分であることも問題だ。岸田首相は、「若者と子育て世帯の所得を伸ばすことに全力を傾注していく」と語っているものの、具体的な施策は明らかではない。1980年以後、もっぱら晩婚化と非婚化によって少子化が進んできたことは明白だ。結婚するかしないかは個人の自由だが、意思とは異なって、安定した就業、十分な所得が保証されないために、結婚したくてもできない環境があるとしたら、そこに手をつけない限り少子化が克服できるわけがない。
こうした少子化に関する議論において、筆者が最も問題視しているのは、既存の人口維持が目的化し、人口減少社会にどう適応するかの視点が抜け落ちているということだ。現状では「どうしたら出生率を回復できるか」、「どうしたら子どもが増えるか」といった議論ばかりがなされているが、人口さえ維持すればいいということではないだろう。だとすれば、人口減少の中で、われわれが「どういう社会にしたいのか」という将来像に関する議論が必要なはずだ。