オークリッジで暗躍していたのは、ソ連赤軍参謀本部情報総局(GRU)のアーサー・アダムスとジョルジュ・コバルだ。アダムスは家族でロシアや米国を転々と移住し、ロシア在住時にGRUの情報員となった経歴を持つ。
彼はシカゴ大学のクラレンス・ヒスキー教授と協力して、原爆開発の情報をモスクワに通知していたが、いまだに謎の多い人物である。コバルは戦争中に米陸軍二等兵として採用されており、電気技師の資格を持っていたために、公式に原爆開発計画に参加することができた。
その後、コバルは45年6月にオークリッジからオハイオ州デイトンの秘密施設に移動し、そこで原子爆弾の起爆装置となるイニシエーターの設計に関わる情報をGRUにもたらしている。ソ連側ではイニシエーターの独自開発ができなかったので、これはソ連の原爆開発にとって値千金の情報となった。
米国政府はコバルのスパイとしての活動証拠をつかむことができなかったようで、最後まで逮捕することができなかった。2006年にコバルが亡くなると、その翌年、プーチン大統領が彼にロシア連邦英雄の称号を与えたことで、そのスパイ活動の一端が明かされたのである。
さらにニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所では、英国の物理学者クラウス・フックスや米国の物理学者セオドア・ホールらが、ソ連内務人民委員部(NKVD)の情報提供者として活動していた。両者はお互いの存在を知らなかったようであり、人類初の核実験となった1945年7月16日の「トリニティ」についての詳細は、フックスとホールがそれぞれNKVDに知らせ、ソ連側は2人の情報をクロスチェックすることで、その正確さを確信するに至ったという。
米「ヴェノナ」計画も
全容解明には至らず
その後イタリアの物理学者ブルーノ・ポンテコルボ、機械工のディビッド・グリーングラスや、そこから情報を得ていたローゼンバーグ夫妻らがソ連への機密漏洩の容疑で逮捕されている(ポンテコルボは直前にソ連に亡命)。
これらは米軍のソ連暗号解読計画「ヴェノナ」の成果であった。逮捕者の中で最後まで司法取引に応じなかったローゼンバーグ夫妻は死刑に処されたが、これは米国建国以来、初のスパイ容疑での民間人の極刑となった。しかしその反面、夫妻がソ連に流出させた情報はそれほど、秘匿度の高いものではなかったとされる。
95年に米国政府が「ヴェノナ」文書を公開したことによって、当時の米国には多くのソ連側スパイや協力者が浸透していたことが明らかになってはいるが、ほぼすべての名前がコードネームで表現されているため、実名が明らかになっていないスパイもまだ存在している。全容の解明には時間がかかりそうだ。