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INTELLIGENCE MIND

2023年12月24日

 ソ連・ロシアの政界で情報関係者は「シロビキ」と呼ばれている。独特の存在感を放っているが、その秘密工作の特徴の一つに影響力工作と呼ばれるものがある。これは外国政府組織に自らのスパイを潜入させ、もしくは協力者を獲得することで、その国の政府をソ連・ロシアの影響下に置くというものである。

 その浸透能力は凄まじく、米国中央情報庁(CIA)や英国秘密情報部(MI6)といった情報組織ですら、この工作の洗礼を受けている。そしてそのような工作の中でも特筆すべきものが、第二次世界大戦中の米国、ルーズベルト政権への影響力工作であろう。

 1939年に第二次世界大戦が始まると、各国は中立を維持していた米国を取り込もうとする。英国のMI6はニューヨークに英国安全保障調整局(BSC)を設置し、米国政府や世論を親英の方向に向けようと画策した。そして中華民国の蒋介石も妻の宋美齢を通じて、米国からの援助を引き出すためにワシントンで活発なロビー工作を行った。

 しかし、より徹底していたのはソ連の対米工作である。ルーズベルト政権で財務次官補を務めたハリー・ホワイトや大統領行政補佐官を務めたラフリン・カリーらは、ソ連側の代理人として政権内で活動していたのである。彼らは米国政府の機密情報をソ連側に漏洩していただけでなく、第二次世界大戦における米国政府の政策をソ連に有利な方向へ導いた。佐々木太郎氏の研究によると、ホワイトは国際連合が創設される際に、ソ連を優先的に同組織に参加させ、拒否権まで与えるよう尽力している。

 国連安保理におけるソ連の拒否権は冷戦期に威力を発揮し、さらに現在のウクライナ戦争においてもロシアが拒否権を発動していることからみても、ホワイトの貢献は計り知れないといえる。

 また、ルーズベルト大統領の側近中の側近であったハリー・ホプキンスもソ連との親密な関係を保った人物であった。ホプキンスは連合国に米軍の武器を提供することを規定した、武器貸与法に深く関わっており、41年7月から8月にかけてモスクワを訪問し、スターリンと面会までしている。

 当時、ソ連は独ソ戦の最中であり、米国政府は同国が長く持たないという見通しを持っていた。これに対して帰国したホプキンスは、ソ連が持ちこたえる旨をルーズベルト大統領に報告している。これを受け、米国政府はソ連への武器援助に踏み切ることになるが、これは逆に日本との関係に影を落とすことになる。

 41年4月から日米は両国の関係改善のための交渉を断続的に続けていた。日本政府も米国との関係改善に前向きであったが、それは外交交渉を通じたフォーマルなものであった。それに対してソ連は情報工作という裏技によって、ルーズベルト政権を味方につけたといえる。こうして米国は徐々に日本を敵視するようになり、41年11月26日には最後通牒ともいえる「ハル・ノート」が日本政府に提出されたのである。

値千金の情報暴く
「原爆スパイ」の暗躍

 第二次世界大戦中にソ連のスパイたちが成し遂げたもう一つの偉業が、米国で開発されていた原子爆弾の製造技術を入手したことであった。後にマンハッタン計画として知られる原爆開発の拠点は、テネシー州オークリッジに築かれ、そこでウランの精製が行われた。同地はノリス・ダムによる豊富な電力の供給が可能で人口が少なく、秘密を守るには好都合と判断されたことで、原爆開発の根拠地となった。だが、既に計画の初期段階からソ連側スパイが浸透していたのである。

テネシー州オークリッジの原爆開発の拠点。マンハッタン計画に基づき、ウラン濃縮施設の従業員らを収容するため設立された(PHOTOQUEST/GETTYIMAGES)

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