2024年4月20日(土)

研究と本とわたし

2013年10月21日

――髙橋先生は、現在、日本映画大学の映画学部長でいらっしゃいますが、文芸評論家としてもご活躍中です。やはり、子どもの頃から、よく本を読まれていたのでしょうね。

髙橋世織氏(以下、髙橋氏):たしかに読書環境には恵まれていました。私の父親は、もともとは戦前の官立系の大学で源氏物語など国文学を講じていましたし、母親も北原白秋の教え子で、彼が創刊した『多磨』という短歌の雑誌の編集をずっと手伝っていて、自分で小説も書いたりもしていました。そういうわけで、わが家はもう本屋以上に本があふれているという感じでした。でも、あまりにも本ばかりあるものだから、小学生の頃は逆にそれほど本は読まなかったのです。

高橋世織氏 (撮影:ウェッジ書籍部)

 その頃、関心があったのが、気象です。毎年のように夏休みの自由研究でやっていたのが気象観測。定期購読していた『子供の科学』という雑誌に簡単な気象観測キットが付録についていたので、それを使ったりして、日々の気温や湿度、雲量、風速とかを測定していました。

 将来は気象庁に勤めて気象予報官になるのが夢で、そう言えば、親に百葉箱を買って欲しいとせがんだこともあったなぁ。それは、さすがにダメだと言われましたけどね(笑)。

 ほかにも父と一緒に胴乱(どうらん)をぶらさげて植物採集に行ったり、父の天体望遠鏡で星や月面を観たりもしていましたから、今思い返すと、かなり理系の観察・観測少年でしたね。

――それは意外ですね。その後はどのような分野に興味を持たれましたか?

髙橋氏:中学の頃になると、特に芸術的な分野が中心ですけど、本当にいろんなことに熱中していましたね。その一つがブラスバンド。当時は、音楽の道に進みたいなという気持ちも少しあったのです。ところが耳を悪くしてブラスバンドも辞めざるを得なくなり、その夢は断念しました。

 ただ、もともと音楽だけではなくて、絵も描いてみたいし、本ももっと読みたいというふうに、何でもやってみたくてなかなか一つに決められない、というような状態でした。


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