世界貿易センタービルが倒壊する場面は日本でも繰り返し放映されたが、米国では悲惨な被害状況を連日詳細に伝え続けることで国民の間に不安が広がった。その結果、多くの人が飛行機は危険と思い、自動車のほうが安全と誤解し、その結果、多数の交通事故犠牲者を出してしまったのだ。
それだけではない。報道はテロリストに対する強い怒りを生み、それがイスラム教徒の差別とイラク戦争にまで発展したのだ。
危害要因とリスク
航空機事故や大規模地震は一度発生すると大きな被害が出る。だからそのような危害要因を避ける行動は当然といえる。ただし、どの程度の回避行動をするのかを判断をするときにはもう一つの要因を考慮する必要がある。
それは危害要因に出会う頻度だ。そして危害要因の恐ろしさとそれの出会う機会を掛け合わせたものがリスクであり、具体的には被害者の数である。
航空機については、100人以上の死者を伴う事故は1960年からこれまでに203件発生し、約3万4000人が死亡した。自動車事故は1件の事故の犠牲者は少ないが発生件数が多いため、世界中で年間135万人が死亡している(Road traffic injuries (who.int))。
これは10年間で東京都民全員が死亡するという大変な数である。原発については死者より避難者の数が多いという特徴があり、それは能登半島地震も同じである。
メディアの任務は事件や事故の状況を正確に伝えることだが、そのときにそれらが発生する確率、すなわちリスクについて伝えることはほとんどない。そのため極めてまれに発生する出来事が何度も繰り返されるような不安を広げてしまう。リスクについても正確に伝えなくてはいけないというのが同時多発テロの教訓だが、これが生かされることはほとんどない。
原発については、1950年代に建設が始まったが、その後いくつかの事故を起こした。大きな被害を出したものは79年の米国スリーマイル島原発事故、86年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故、そして2011年の福島第一原発事故である。
これらの事故は原発に対する不安を拡大し、反対運動が盛んになった。世界の32の国と地域には約440基の原発があり、さらに60基が建設中で、世界の電力供給の10%を担っているが、事故の影響でドイツやイタリアのように脱原発政策を推進する国も現れた。
他方、中国、インド、ロシア、韓国などでは110基の原発建設が予定され、さらに約30カ国が計画中という(Plans for New Nuclear Reactors Worldwide - World Nuclear Association)。それは原発がエネルギーの安定供給と温暖化対策の有効な手段と考えられているからであり、加えてこれまでの事故の教訓を生かして規制が厳しくなり、これに対応する新技術が開発され、リスクが小さくなっているからである。
安全が確保できるのであれば温暖化対策に利用すべきということになり、23年12月に開催された第28回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)において、日、米、英、韓国など22カ国が50年までに原発を3倍に増やすことを宣言した。日本には運用中の原発が33基あるが、実際に運転中のものは10基しかなく、7基は地元の同意が得られないため再稼働できず、残りは原子力規制委員会で安全性の審査中である(「日本の原子力施設の状況」日本原子力文化財団)。国は運用中の原発の再稼働を進めること、原発の運転期間を40年から60年まで延長すること、そして安全性が高い次世代原発の開発・建設を進めることで目標を達成する計画だ。