2024年4月30日(火)

BBC News

2024年4月10日

ウクライナに侵攻したロシア軍は2022年3月、首都キーウ郊外のブチャを占領した。部隊が撤退後、ブチャに残された死と破壊の痕跡は世界に衝撃を与えた。それから2年後、BBCのサラ・レインズフォード東欧特派員がブチャを再訪し、さまざまな傷を負った住民がどのように日常に戻ろうとしているのかを取材した。

サラ・レインズフォード、BBC東欧特派員

ルドミラさんの夫は、ロシア兵に殺された。

そしてルドミラさんは、夫の遺体を毛布にくるんで自宅の庭の隅に埋葬するしか、ほかにどうしようもなかった。夫を埋葬して、ルドミラさんは娘と共にブチャから逃げた。2022年3月のことだ。

ロシア軍はキーウ郊外の小さな町ブチャを占領し、ルドミラさんたちの家を勝手に使い始めた。庭に戦車を乗り入れ、道路の向かい側の家を指令本部にした。

あれから2年がたち、ルドミラさんはようやく、夫ヴァレリーさんの顔写真がついた大理石の墓石を、その墓に立てることができた。

ブチャが解放された後、ルドミラさんはヴァレリーさんを地元の墓地に、きちんと埋葬し直した。戦闘で破壊された夫妻の家は少しずつ再建が進んでいる。ルドミラさんはその庭に、明るい色の花を植えている。しかし、家の完成後、そこに住むのはルドミラさん一人だ。

撤退したロシア兵が残した悲惨な状態からブチャを再生し、再建しようとする取り組みが続いている。ルドミラさんたちの家の再建も、その一環だ。

ブチャを奪還したウクライナ軍は、ヤブルンスカ通りに多数の遺体を発見した。道路で撃たれて死亡し、そのまま放置された人たちだ。その光景を通じて世界は、33日間の占領中にブチャがどのような惨劇に見舞われていたのか、初めて知ることになった。

「あの通りに住む人たちを支える、道義的な義務が私たちにはある。あそこで70人以上の民間人が残酷に殺され拷問されたので」。アナトリー・フェドルク町長はこう言う。

ヤブルンスカ通りとその周辺の地域は、修復され、改装され、ところによっては再建された。しかし、ロシア軍は占領中にこの地域の「ほぼすべての庭と家」を接収し使っていたのだと町長は話す。補修費の推定総額は16億ユーロ(約2640億円)に上るという。

「もちろん私たちにそんな資金はない。それでも、住民が自宅に戻れるようにするため、最善を尽くしている」

ヤブルンスカ通りから数歩歩いたすぐ先に、ルドミラさんの家がある。

新しい家はまだ外枠ができただけだ。夏までには完成させると施工会社は約束しているものの、大工の姿をもう何日も見ていないのだとルドミラさんは話す。

夫だけでなく、家を失ってから2年がたつ。それだけに、この新居に早く引っ越したいと思っているという。

「なんとかこなそうとがんばっていますが、血圧が高くて。戦争の前はこんなことなかったのに」。こう言いながら、ルドミラさんは自宅の建築現場を案内してくれた。

「心臓のスキャンもとっています。いろいろ問題があって。全部ストレスのせい。記憶のせいです」

2022年に私は、ロシアの撤退から間もなくブチャを訪れ、焼け焦げたルドミラさん宅の残骸を目にしている。庭にはまだ、酒瓶や戦闘糧食の包みが積まれていた。ルドミラさんの夫を撃ち殺した男たちが残したごみだ。

ルドミラとヴァレリーさん夫妻は、地下室に隠れていた。ヴァレリーさんはその地下室から少し出たところをロシア兵に見つかり、殺されたのだ。ルドミラさんは同じ日の夜、玄関先にうつぶせて倒れている夫の遺体を見つけた。

ヴァレリーさん殺害の事件捜査は、まだ続いている。ブチャで起きたとされる何百件もの戦争犯罪の一つだ。ルドミラさんは最近、警察に呼ばれた。新しい防犯カメラ映像が見つかり、そこに映っている兵士たちを特定できないか、質問されたという。

「被疑者不在で訴追できるのでは? ロシアが身柄を引き渡すわけはないのは、わかっています」

ルドミラさんはこう言う。具体的に誰かが法的に夫殺害の責任を問われる可能性については、事態を現実的に受け止めている。

「私自身としてはひとりひとり、首を締め上げて、いったいなんでここに来たのか問い詰めてやりたい」と話すと、いきなり感情が込み上げたようだった。

「最低のクズ」だと、ルドミラさんは言い放った。

聖アンドリー教会の敷地は占領中、多くの市民の集団埋葬地となった。その白い壁には、今では金属製の追悼プレートが掲げられている。今のところプレートには509人分の名前が刻まれている。空白のプレートもある。町の墓地ではまだ100人以上の遺体が、身元の確認を待っているからだ。この人たちはブチャのあちこちにいったん浅く埋められ、後に改葬された。いつか誰かが、この人たちを探しに来るとの期待から、改葬の際にDNA検体が採取・保存された。

追悼の壁には、「2022年3月」という以外は命日が刻まれていないプレートもある。ブチャがロシア占領下に時期だ。その反対側には、いまだに行方が分からない数十人の人たちの名前が掲げられている。

そのリストには、ボフダン・コステレンコさんの名前もある。ボフダンさんの妻ナタリアさんに私が最初に会ったのも、2022年のことだ。かつてブチャで多くの子供が利用したサマーキャンプの敷地内で、殺害された男性5人の遺体が見つかった。その事件を、私は当時取材していた。ロシア兵に連行された夫がその一人なのではないかと、ナタリアさんは恐れていた。しかし、違った。

何カ月も探し続けた末に、ナタリアさんはようやく夫がロシアの刑務所にいることを突き止めた。「夫はベラルーシ経由で(ロシア・)ブリヤンスクにある第2収容所まで連行された」のだと、ナタリアさんは話す。

ロシア軍の戦争捕虜との交換を通じて帰還したウクライナ人たちの話から、ボフダンさんがやがてモスクワの南にあるトゥーラの町で、収容施設に入れられていることを知った。

「ロシアは正式に、夫が囚人だと認めたけれども、私は自分のツテを使って自力で居場所を探り当てなくてはならなかった」と、ナタリアさんは言う。

「民間人は速やかに帰還させるべきなのに、そうしない」

ボフダンさんは心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、2019年に陸軍を退役した。ロシアに収監されているが民間人なので、捕虜交換の対象になる可能性は乏しいとナタリアさんは恐れている。これまでにロシアが帰還を認めた非戦闘員は、数十人だけだ。

「ブチャの民間人が大勢、行方不明のままだ。ロシアの刑務所にいるとわかっているけれども、ロシア側は認めようとしない。少なくともボフダンについては、収監していると正式に認めているだけましだ」

ナタリアさんの夫が連行されて以来、本人からは何の連絡もない。しかし、ブリヤンスクで収監されていた他のウクライナ人たちから、拷問されたと聞かされている。

「本当に厳しかったと、その人たちは言っていた。食べ物を与えられず、ひどく痛めつけられたと。電気ショックや、鉄パイプを使って」と、ナタリアさんは言う。「私はもう、どうしたらいいのかわからない。夫を自由にできない。方法がまったく見つからない」。

ナタリアさん本人は、血筋の上ではロシア人だ。今や自分の夫を違法に拘束し、虐待しているとされる国は、彼女の両親の母国だ。そして、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はナタリアのような人の存在を口実に、ウクライナ侵略を正当化した。ナタリアのような人たちを、キーウの「ナチス」政権による蛮行から救わなくてはならないのだと、プーチン大統領は主張した。

私たちが庭で話していると、周りでは子供たちがサッカーをしながら笑ったり叫んだりしている。戦前にブチャにいた住民のほとんどが、ここに戻った。ウクライナそのものから避難した大勢も含めて。

しかし、今後また事態が悪化しかねないとナタリアさんは心配している。

「プーチンが何をしているか、わかるでしょう。モスクワのテロ攻撃をウクライナのせいにして」と、3月にモスクワ近郊のクロクス・シティー・ホールで起きた襲撃事件にナタリアさんは言及した。

「全面戦争がしたいんだと思う。総動員で」

町の反対側ではルドミラさんも、ロシアのミサイル攻撃がこのところ増えているのを心配している。建て直し中の自宅をしょっちゅう訪れては、進捗を確認すると共に、占領前の思い出を身近に感じようとしている。近所に住み着いている野良猫「ムルカ」に、食べ物を与える。ヴァレリーさんはムルカの写真を撮るのが大好きだった。あらゆることがもう耐えられないと思うときには、庭仕事をする。そうすると、少しは気がまぎれるのだという。

「ウクライナのどこもかしこも壊れて、がれきだらけ! ここブチャでは再建が進んでいて、それは本当にうれしい。でも平和ではないし、安定もしていない」

ルドミラさんは庭に整然と並んで咲く、紫色のクロッカスやブルーベル、まだ緑色をしたスイセンのつぼみを見せてくれた。続いて、ヴァレリーさんが撃たれた玄関先の前を通り、木製の門をくぐり、自ら夫を埋めた場所へと案内してくれた。そこは今では、よく手入れされた花壇に戻っていた。

「見て、チューリップがあんなにたくさん!」とルドミラさんは指さした。

「前はここは本当にきれいでした。また家の周りでぐるっと、花が咲くようになります」

(英語記事 Ukraine war: Bucha's wounds still raw two years on

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/cjr7xnx54l1o


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