毛沢東時代の大飢饉は仕方なかった?
中国の歴史修正主義


世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

世界の流れは、時々刻々専門家によって分析考察されています。それらを紹介し、もう一度岡崎研究所の目、日本の目で分析考察するコラム。

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10月16日付米ニューヨーク・タイムズ紙は、Chris Buckley同紙記者の解説記事を掲載し、毛沢東生誕120周年を前に、中国では、大躍進の際の死者数を過小評価し、毛沢東の政策のせいではなく、自然災害で仕方なかったとする動きがあることを伝えています。

 すなわち、1958年~1962年に中国を襲った飢饉は、2000~3000万人の犠牲者を出した史上最大の大惨事と言われ、毛沢東時代を決定づける災難の1つである。以来ずっと、中国共産党は、共産国家の創設者への崇敬の念を維持するため、この惨事を、検閲や婉曲表現で覆ってきた。

 しかし、12月26日の毛沢東生誕120周年を前にして、毛沢東支持者や党の論客達は、長い間の公の沈黙を破って、彼らなりの解釈で被害程度を下げ、反対する歴史家を攻撃し始めた。彼らは、飢饉によって数千万人の死者が出たことを否定する。

 党の機関紙「環球時報」は、数学者の言葉を引用し、大躍進の時期に栄養失調で亡くなった人は、最大250万人である、とした。それ以上の数字は、統計上の欠陥によるものであり、村から村へ移動した人達を重複して数えた、とする。

 毛沢東に対する評価は、党にとっても重要である。何故なら、党は、革命的政策に、その起源があるからだ。そして、習近平主席は、前任者達よりも、自分の家族が毛沢東時代に苦しんだにもかかわらず、革命的遺産を護るのに熱心である。

 大躍進は1958年に始まった。丁度、共産党指導部が、農村の大改革を行ない、労働力を動員して急速に中国を工業化しようという毛沢東の野心的政策を採用していた時だ。理論的には生産力が上がるはずだったが、急いで工場や人民公社を建設しても、結局、効率は上がらず、生産力は下がり始めた。

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