個人美術館ものがたり

2009年10月20日

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赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)

画家、作家

1937年、神奈川県生まれ。60年代にネオ・ダダイズムなど前衛芸術運動に参加。80年「尾辻克彦」名の『父が消えた』で芥川賞を受賞。『散歩の学校』『昭和の玉手箱』『千利休 無言の前衛』など著書多数。

鳴門の渦潮は自然のものだから、見えるときも見えないときもある。
けれども美術館なら、いつ来ても見てもらえる――。瀬戸内の潮風を浴びながら、
創設者のそんな思いが託された美術館が威風堂々と立っています。
 

フェルメール
「真珠の耳飾りの少女」

 四国に陶板画による美術館があるという話は、どことなく聞いていた。陶板画というと皿絵などの創作を思いうかべるが、よく聞くとそうではなくて、泰西(たいせい)名画を陶板画の方式で再現した美術館だ。

 何故陶板画? と思ったが、美術陶板というのは耐久性が抜群だという。ふつう美術作品は壁に描いたフレスコ、キャンバスに描いた油絵、あるいは板や紙など、ほとんどが劣化しやすい素材ばかりだ。それに比べて美術陶板は、たとえ水がかかっても陽に晒しても大丈夫、耐久性は抜群である。

 だからもし仮に、世界中の名画が火災や何かでなくなったとしても、この大塚国際美術館にある生き写しの名画は半永久的に残される、という話も聞いた。

 なるほど、それはたしかに大きな存在理由だ。最近は文字や図像の保存はデジタル技術が占めてきているが、電子世界の図像というのは存在感が弱く、ちょっとしたアクシデントですべてがパッと消失する、のではないかという不安感がいつもつきまとう。神経的には非常に不健康だ。それに比べると美術陶板というのは物として安定していて、非常に健康的だ。でもそれが何故四国のこの土地に、しかも大塚製薬という製薬会社の力によって実現しているのか。

どのフロアのどの壁も(陶板上に再現された)名画の数々……

 製薬会社の基本は化学である。その化学技術で薬や食品が作り出されているが、もう一つ口に入れない化学分野として、大塚オーミ陶業という部門があるのだった。これら大塚グループを率いたのが故大塚正士(まさひと)氏、この大塚国際美術館の初代館長である。

 正士氏の父大塚武三郎(ぶさぶろう)氏が大塚製薬のモトを創ったのが大正10(1921)年、正士氏が経営を引き継いだのが昭和22(1947)年、そして終戦時に17人の社員が、いまは3万6000人だ。商品はふと思いつくだけでも「オロナイン軟膏」「オロナミンCドリンク」「ボンカレー」「ごきぶりホイホイ」と、人々の生活になじみが深い。
 

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