映画「ATOM」公開記念 特別企画

2009年10月20日

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 『鉄腕アトム』がアメリカで初めて放送されたのは1964年。それから45年を経て、香港とハリウッドの制作によるCG版『Atom』(英語版タイトルは『AstroBoy』)が、10月10日に日本で公開された。北米での公開も10月23日と間近に控えている。今や、日本のアニメーションは「クールジャパン」と呼ばれ、世界中で高い評価を受けているが、その歴史を切り拓いたのが『鉄腕アトム』のアメリカデビューだった。

 今となれば、「日本のアニメは質が高いんだから、ほっといても海外で売れるでしょ」、そう考える人も多いかもしれない。だが、『鉄腕アトム』がアメリカに売り込まれた1963年は、ソニーで当時副社長だった盛田昭夫氏がアメリカに乗り込み、トランジスタラジオの本格的な販売を開始した年でもある。まだ「Made in Japan」のブランド価値が確立されていなかった時代の話だ。

 そんな時代に、『鉄腕アトム』をアメリカに売り込むことを思いつき、即座に実行に移して成功をつかんだ「クールジャパン」の立役者ともいえるその人物に、インタビューを試みた。

日本のものなど売れるわけがない

株式会社ビデオプロモーション
取締役名誉会長 藤田潔氏

 東京都港区赤坂。窓外に日枝神社を望むオフィスビルの中に、株式会社ビデオプロモーション(総合広告会社)がある。その名誉会長である藤田潔氏こそ、『鉄腕アトム』をアメリカに売り込んだ人物である。藤田氏は今年80歳を迎えた。小柄ながらがっしりとした体躯に、まっすぐと伸びた背筋。数々の修羅場を乗り越えてきたことがひと目でわかるその佇まいからは、風格と凄みが漂う。藤田氏は、30歳で会社を立ち上げ、34歳の時、『鉄腕アトム』をアメリカで売るという快挙を成し遂げた。

 インタビューの冒頭、「『鉄腕アトム』をアメリカに売り込んだ時のお話をお伺いしたいのですが・・・」と切り出すと、藤田氏は、しゃがれ声で言葉を探すように言った。「あのね、仕事というものは、いろんなことをやってきたなかで、それがつながることによって、発展していくものなんだ。だから、『鉄腕アトム』の話だけを切り離して語ることはできないよ」。

 1963年に渡米したそもそもの目的は、『鉄腕アトム』を売ることではなかった。

 「当時、うちでマネジメントを手がけていた歌手のアイ・ジョージが、どうしてもカーネギーホールで歌いたいと言うんだ。『大変だし、やめとけ』って言ったんだけど、『どうしても』って引き下がらない」。結局、その熱意に負けて、アメリカへ交渉しに行くことを決めた。藤田氏にとって、それが初めての渡米だった。

⇒次ページ 新しいことに挑む喜び 「体当たり営業」で売れた鉄腕アトム

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