前回のコラム「高校同窓生からみた亀井静香氏(その1)」は、大きな反響があったと編集部から聞きました。なんだか嬉しくなって、地下鉄一駅ぶんちょっとの距離しかない用事で、急いでもいないのに、思わずタクシーに乗ってしまいました。記者さんのように取材をしてみたくなったからです。60歳くらいの運転手さんに、行き先を告げ、「近くて申し訳ありません。ところで亀井静香大臣のことをどう思いますか?」と尋ねました。
「面白いですね。番記者にいじわるなことを言っていた麻生さんとはまったく違う。大銀行を敵に回すなんて勇気がありますよ。ああいう政治家がいなくなりましたねえ」よどみなくそう話す運転手さんの姿を見て、注目度の高さを改めて感じました。
私は東京都立大泉高校で同窓生だった下 壮而(しも・そうじ)君の葬儀(1983年)以来26年間、亀井君には会っていないのですが、今回も同じテーマで、もう少しだけ掘り下げたいと思います。
前回のコラムで、亀井君と私は都立大泉高校の同学年であることを書きました。そして、私たちの学年450人のなかで、下君は、学力がダントツ中のダントツの1番でした。亀井君は下君を大変尊敬し、頼りにしていたそうです。
人間、学力だけを重視してはならないと思います。しかし、学力も大事なものの一つです。高校で1番だった下君は、大学でも、公務員試験でも、社会人になっても1番でした。しかも学力だけでなく、人格・識見もずば抜けていました。そういう人はきわめて稀有(けう)であると思います。しかしそんな下君は、46歳で早逝しました。とてもとても残念です。
(下壮而著、都市文化社)
恩師の期待と喪失感
下君の遺稿を集めて死後2年経って発刊された『現代経済の透視 ―現代資本主義論ノート』(下壮而著、都市文化社、1985年7月5日刊、定価3500円)を読むと、どれだけ下君が期待されていたかがわかります。
高校時代から下君を尊敬し親しかった、私たちと同期の経済学評論家が、最近、下君のこの本をしっかり読み返してみて、「下君はいまの世界経済をすでに見“透視”ていた。下君は大成して、ノーベル経済学賞級の学者になったと思う」と、私に電話をくれました。
下君の恩師、隅谷三喜男教授の序文の一部を記します(次ページ)。