『葉隠』が教える 酒とのつきあい


青木照夫(あおき・てるお)
1938年、長野県生まれ。同志社大学法学部卒業。金融業に携わったのち、養蜂業を営む。青木養蜂園代表。
著書に『ビジネスに活かす乱世の帝王学』『性悪説の行動学』(産業能率大学出版部)、『いま、なぜ武士道なのか―現代に活かす「葉隠100訓」』(ウェッジ)他多数。

いま、なぜ武士道なのか

『葉隠』は、江戸時代中期に肥前国鍋島藩士・山本常朝が「武士の心得」について口述した書物。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の言葉が有名で、「鍋島論語」とも呼ばれ、広く拳拳服膺された。しかしその内容は、上司からの酒の誘いを上手に断る方法や、部下の失敗をフォローする方法など、現代のビジネスパーソンにも通じる処世訓も多く含まれ、現代人にとって金科玉条とすべき教訓に満ちている。(本コンテンツは、書籍『いま、なぜ武士道か―現代に活かす『葉隠』100訓』(ウェッジ刊)から一部を抜粋したものです)

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 本格的な忘年会シーズンが到来する。しかし、こうした酒宴は公の場と心得たほうがよい。
もちろん、すこしの酒は気分を高揚させ、ストレスの発散に役立つだろう。しかし、うっかり酒がすすんで口が滑らかになり、失敗をした人も多いのではないだろうか。
『葉隠』で説かれている酒に対する心得は、現代でも有用だ。

 酒の飲み方は難しい。特にタテマエとホンネの距離が大きい日本人の場合、うっかりすると過ちを犯す。つまりタテマエ社会の中でホンネをはくと、人から煙たがられたりする。それはホンネで通す人間の方が個性が強いからである。また軽率にホンネをはくと人から陥れられる場合も多い。ここのところを『葉隠』では特に注意している。

大酒にて後〔おく〕れを取りたる人数多なり。別して残念の事なり。先づ我がたけ分をよく覚え、その上は呑まぬ様にありたきなり。その内にも、時により、酔ひ過す事あり。酒座にては就中気をぬかさず、不図事出来ても間に合ふ了簡あるべき事なり。又酒宴は公界ものなり。心得べき事なり。

大酒を飲んで失敗をした者は多い。とりわけ残念なことである。まず自分の酒量をよく知っておいて、それ以上は飲まないようにしたいものである。しかし、それでも時によっては酔い過ごすことがある。酒の席ではことさら気を抜かず、思いがけない出来ごとが起きても対処できるように心がけておかねばならない。酒宴は公の場のものである。このことをとくと心得ていなければならない。

 これは身につまされる訓戒である。現代でも、何かことがあれば酒がでる。そして無礼講などといって、いいたい放だいのことをいう習慣もある。上下の区別なく好き勝手なことをいうのであるから、いっけん民主的にみえる。しかし、これは民主主義でも自由主義でも何でもない。そこには面と向かってもののいえない泣きごとしかないのである。これは精神における弱者である。だからこそ、『葉隠』はそういう人間になってはいけないと戒めるのである。酒宴で気を抜かないように注意していれば、強じんな精神が養われる。

 悲惨な飲酒運転事故が後をたたない。被害者にとって悲劇であるばかりではなく、加害者である運転手にとっても悲劇である。それぞれの本人にとって残酷であるばかりではなく、身内にとっても残酷きわまりない。酒の席は公の席であることの自覚がたりないから起きるのである。今は、さらに酒のあとの席も公の席ということである。飲酒運転は本人の自覚さえあれば防げるものである。にもかかわらず後をたたないということは、甘えがあるからである。つまり「これくらいはいいだろう」という甘えである。

 酒席は公の席である、という定義は、『葉隠』の独壇場である。武士道とはかくも厳しいものであり、かくも麗しいものである。泰平にあぐらをかいて、自堕落となり、精神の弛緩が飲酒運転事故の原因である。事故が起きてから反省しても遅い。賢い者は、事前に用心するものである。

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「いま、なぜ武士道なのか」

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