チャイナ・ウォッチャーの視点

2009年12月3日

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有本 香 (ありもと・かおり)

ジャーナリスト

企画会社経営。東京外国語大学卒業後、雑誌編集長を経て独立。近年とくに中国の民族問題の取材に注力している。『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社)『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』(祥伝社)の他、近著に『中国の「日本買収」計画』(WAC BUNKO)がある。

 本コラムは、「チャイナ・ウォッチャーの視点」という標題だが、不肖私は、四半世紀来「インド・ウォッチャー」を自称してもいる。しかし、実際のインドは見れば見るほど、近づけば近づくほど、「わかる」などと思うには程遠い。こうした「不可解さ」や「神秘」というのは、一般的な日本人にとってのインドのイメージでもあるだろう。

 しかし、実のところ、日本にとってインドは中国に負けず劣らず「縁深き」国である。仏教発祥の地であり、日本人が好んで参る七福神もインドの神々がルーツといわれる。

 また、第二次世界大戦後のいわゆる東京裁判において、「戦勝国が敗戦国を裁く不公平」を唱え、ただ一人、「日本人の被告全員の無罪」を主張したラダ・ビノード・パール判事はインド出身であった。さらに、近年の好感度アンケートでは、軽く70%超のインド国民が日本を「好ましい国」と答えてもいる。つまり、インドは比類なき親日国家でもある。

 そんなインドと中国は、それぞれ10億前後の人口を抱える文字どおりの大国だ。近年、両国とも経済発展目覚ましく、近い将来、このふたつのアジアのスーパーパワーが世界を牽引する存在になりうるのでは、との論もある。

 その一方で、この二大国がここ数年のうちに正面激突するかもしれないとの懸念があるのをご存じだろうか? そして最近、この予測をリアルなものかと感じさせる状況が日本を舞台に起きているのを、一体どれほどの日本人が認識しているであろう?

中印国境紛争再び?

 日本では忘れ去られている感も強いが、中印両国は今もって「停戦中」の関係にある。しかもその紛争の歴史は長い。とはいっても、大規模な軍事衝突に発展したのは、中国が現在の共産党政府体制になってからのことである。

 共産党政権以前にも、たとえば1913~14年、イギリス主導で進められた、清朝後の領土確定のための協議(シムラ会議)の際、チベットの実質的な独立とインドとの国境を定めた内容に中華民国が難色を示し、調印を拒否するなどの対立は見られた。しかし、本格的な武力衝突には至らなかった。

 というのも、当時の中印はともに列強によって植民地化されており、しかも、チベット高原からヒマラヤに至る高山地帯が天然の緩衝地帯となっていたために、古来あいまいな国境線をわざわざ争いの種にしてまで戦う動きには至らなかったのである。

 ところが、中国共産党が国民党との戦いに勝って覇権を握ると早速、チベットへの侵攻を開始したことで状況が一変する。ラサが陥落し、チベット全土が中国共産党によって実効支配されるに至ると中印国境の対立も厳しさを増していった。

 とうとう1959年、中印国境の全線で両国は武力衝突する。この年は、中国共産党の支配に反発したチベット人による「ラサ蜂起」が起き、結果、チベットの最高指導者ダライ・ラマ14世がインドへの亡命を果たした年であった。

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