2024年4月19日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2009年12月3日

 字数制限という問題もあろうが、不思議なことに、この記事に限らず日本のメディアがこの中印問題の歴史的経緯を伝える際には、「シムラ条約」の記述が避けられることが多い。条約の有効性については議論の分かれるところだが、日本メディアのシムラ条約無視は別のところに根がありそうだ。

日本メディアのパラドクス

 あえて辛辣な言い方をすると、今回の報道でも、「中国政府の音頭に日本メディアが乗る」現象が起きたとの見方ができる。

 この半世紀、日本のマスメディアによって伝えられた中印関係、あるいは中印の間にチベットを含めた三者関係のニュースは、中国側の視点に寄った角度から伝えられることが多かった。殊に、チベット問題については、「中国55の少数民族」という共産党の民族識別工作の産物である「少数民族の数」から、「チベット青年会議」を過激派のごとく伝えてきたことに至るまで、「メイドイン中国」的な視点での報道が目立つことは否めない。

 これが日本のメディアの明確な意思によるものなのか、中国側の巧妙な工作に知らず知らずのうちにからめとられた結果なのかは定かではないが……。

 1914年のシムラ条約では、問題の「タワン」とその周辺の一帯はインドに割譲されている。さらに、この条約でイギリスはチベットについて、ほぼ独立国家並みの自治権を認め、実際に条約後、チベットは中国の影響を一切受けず自由にイギリスと交渉し得る存在となっている。つまり、この条約の内容自体が、中国政府が繰り返し強調する「チベットは古来一貫して中国の一部」という主張に反するものなのだ。だから、中国政府としては、条約の存在そのものを認めるわけにいかないのである。

 中国政府が条約を「意地でも認めない」のはわかるが、それを日本のメディアが「避けて通る」のは不可解だ。ちなみに、欧米のメディアは中印関係を報じる際、その有効性に疑問を投げかけつつも、シムラ条約の経緯を伝えている。しかし、それを転電する日本メディアは見事なまでに条約のくだりだけを除いて伝えるケースが多い。

 さらに朝日新聞の記事は、タワンが古来チベット人の多く住む地で、歴史を遡るとダライ・ラマ6世の生誕地であること、また、ダライ・ラマ14世は2003年にもタワンを訪問しているが、このことにも触れてはいない。つまり、ダライ・ラマがこの地を訪問することがチベット側にとってどういうことなのかをまったく伝えていない。

 チベット側関係者は、今回の日本メディアの「法王タワン訪問」への注目ぶりを「中国の思惑に沿って過度に政治問題化しようとしているかのようだ」と不快感を隠さない。

 断わっておくと、このタワンについて、中印国境紛争の勝利以来、中国はその領有権を主張しているが、今日まで実効支配を続けているのはインドだ。タワンが今も昔も、インド領内にある、チベット人ゆかりの地であることに変わりはない。

中印対立の要因の複雑さ

 実は最近、中国メディアによる「インド脅威論」的な報道は多い。というのも近年、中印両国の対立の火種があまりにも多いからだ。そしてどうやら中国は、敵国インドともうひとつの敵国日本が「結託」し、そこへ、最大の敵国であるアメリカが組み合わさる構図をひどく恐れているようなのだ。

 しかし、そうした視点を日本のマスメディアが伝えることは一切ない。


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