オトナの教養 週末の一冊

2016年4月24日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

 熊本県を中心とする九州の地震で、多くの方が余震に怯えつつ、避難生活を送っている。そんななか、「死に方」の話は不謹慎ともとられそうだが、自然災害やテロ、事故など、いつどこにいても「死」は待ち受けている。

 突然やってくるかもしれないその日に備えておくことは、送られる当人にとっても、送る家族らにとっても、大切なことだろう。

死に方、送られ方を選ぶ自由

これからの死に方』(平凡社新書)

 本書は、生命倫理、科学論、法政策学を専門とする著者が、死の迎え方と送られ方をめぐる自由の範囲と制約条件について、豊富な具体例を挙げつつ考察した新書である。

 流行りの「終活」という語を出すまでもなく、昨今、死に方、送られ方を選ぶ自由を求める声が広がっている。

 過度の延命措置は施さないでほしい、墓や葬式は必要ない、散骨してほしい、火葬以外の方法で葬ってほしい、などである。

 著者によると、そもそも伝統的な葬送の慣習と受け取られている「通夜、告別式、埋火葬、墓石の建立、墓参りと法事」という一連の作法は、明治期以降に都市部や一部の階層から始まって、第2次大戦後から高度成長期にかけて普及した「新しい伝統」だという。この新しい伝統が普及するにつれ、本来の習俗は農山村部でも消えていった。

 とすれば、今また死をめぐる習俗、文化、考え方が転機を迎えていることも、不思議ではない。

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