オトナの教養 週末の一冊

2016年3月20日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

 「すべての物質は毒である。毒でない物質は存在しない。ある物質が毒となるか薬となるかは用いる量による」

 毒物学の父、あるいは医療化学者の父、はたまた錬金術師とも呼ばれたパラケルスス(1493-1541)の言葉である。

 ハザードとリスクの話をするとき、私は必ず、彼の唱えた「毒か薬かは量による」という言葉を引き合いに出す。

 私たちは日常生活で往々にして、ある物質が「毒か、薬か」と白黒つけたがる。しかしいうまでもなく、その物質の量はもとより、用い方や用いる人によっても、ある物質が毒になるか薬になるかは変わってくる。

 要するに「個々の物質や個々の技術を毒とするか薬とするかは、我々の用い方次第」というわけで、パラケルススのこの賢察は、現代の科学技術の光と影を論ずるうえでも土台となるものである。

 ちなみに、江戸時代の儒学者・本草学者、貝原益軒(1630-1714)も、ベストセラーとなった著作『養生訓』(1713)において同様の考え方を説いている。

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