足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年5月3日

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足立倫行 (あだち・のりゆき)

ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『血脈の日本古代史』(ベスト新書)『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

 4月16日、ローマ法王フランシスコがギリシャ東部のレスボス島を訪れ、約3000人が収容されている難民キャンプを視察した。

 法王は難民流入の抑制を最近強化したEU(欧州連合)の政策に批判的で、シリア人難民の3家族12人を専用機でローマに連れ帰ることを決断。帰路の機中で「壁ではなく、橋を築くべきだ」と記者団に語った。

レスボス島(iStock)

出発点はレスボス島

 バルカン諸国を北上する難民が急増している現状は、〈ウェッジ〉5月号で木村正人氏が迫真のレポート(『12倍の難民にすくむEU』)を報告しているし、〈中央公論〉では、タレントの春香クリスティーンさんが『ギリシャ→ドイツ難民ルート2000キロを行く』と題し、4月号から同行記を連載中だ。

 2つのルポともバルカンルートの出発点はレスボス島である。シリアやイラクからきた難民はビザがないので、EU圏の南端のギリシャに陸の国境からは入れない。そこで彼らはトルコに近いギリシャの島(例えば、約10キロ沖合いのレスボス島)へ密航し、島の難民管理センターで難民登録して、ドイツなどEU北部の国へと本格的な難民申請のために向かうのだ。

 つまりレスボス島はEUが黙認する「抜け穴」であり、欧州の「裏の玄関口」ということになる。

 ところが昨年、トルコから流入する難民が100万人以上(うち約55万人がレスボス島経由)となり、人や物の移動の自由があるはずのEU各国で次々に国境が復活しはじめた。

 今年4月4日からは、EUとトルコとの合意に基づき、3月20日以降にギリシャに密航した難民を原則トルコに送還することになった。建前を揚げておれなくなったEUが「切り札」として出した難民問題解決策(?)だ。

 私は、懸案の地域に少し既視感があった。

 木村氏の報告によれば、密航ブローカーの最大拠点となっているのがトルコ第2の港湾都市イズミルで、密航ボートの出発地が普段レスボス島行きのフェリーが出航する海岸リゾート地のアイワルク、とあるが、私は退職したI夫婦のトルコ沿岸を行く船旅に同行取材(『船で暮らす地中海』(講談社)2002年刊)した折に、アイワルクで1泊し、翌日に約130キロ南方のイズミルへと航海した。

 イスタンブールのマリーナからダーダネルス海峡を通ってトルコ沿岸を南下したのだ。

 大阪府より少し小さい観光の島のレスボス島は、進行方向の右手に横たわっていたが、私たちの船(全長13・2メートルのモーターヨット)は、その時は立ち寄らなかった。

 航海中2つのことを私は感じていた。まずはギリシャ、ローマ時代のトルコの持つ需要性。

 トルコ西部のイオニア地方は古代ギリシャの植民地であり、ローマ帝国の属州だった。吟遊詩人ホメロス、医学の祖ヒポクラテス、数学者ピタゴラスなど皆現在のトルコ出身だ。

 キリスト教最大の功労者の聖パウロもトルコ出身で、イズミルからバスで1時間のエフェソス(現エフェス)は紀元1世紀の伝道の旅で聖パウロが一番長く滞在した町であり、当時のギリシャ式大劇場や建築物が今も残っている。

 現在のトルコと欧州の印象は随分違うが、歴史的には重なり融合する部分が多いのだ。

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