いま、なぜ武士道なのか

2010年1月22日

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 いまや金をもうけた企業の社長が、ワイドショーで人の善悪を断じるようになった。
しかし、そもそも善悪とは価値判断のことで、盛衰とは力のことである。かつて、この両者は相関関係をもたなかった。

 栄枯盛衰は、変転きわまりがない。いかなる富も権勢も永遠とすることはできない。しかしながら、名もなく貧しくという身分にはなりたくない。これが常人の願いである。また願いであればこそ、それを実現した人間は優れてみえる。その優秀さにおいて、善という価値を承認したくなる。ここのところの見きわめを常朝は忠告している。

盛衰を以って、人の善悪は沙汰されぬ事なり。盛衰は天然の事なり。善悪は人の道なり。教訓の為には盛衰を以って言ふなり。

盛衰をもって、人の善悪は判断できない。盛衰というものは時の運である。しかし、善悪は人の道である。あえて教訓のために、善人は栄え、悪人は滅ぶというのである。

 短い項であるが、いっていることは深遠である。富や地位がある者には、人が寄ってくる。だからそのことによって、その人は善人であると解されやすい。しかしながら、現実の世の中をみていると、善人が必ずしも富を得るとはかぎらない。むしろ善人であるために苦境に陥ってしまうことが多いのである。

 常朝は自分の人生をふり返って、何が善であるか考えさせられたにちがいない。そして、いろいろと考え迷ったあげく、行きついたところは、善悪と盛衰は別ものであるという境地である。常朝自身の生涯もそれほどめぐまれたものではなかったことを思い合わせてみれば、なるほどとうなずけるものがある。だが彼自身は、自分の生を肯定し、誇りをもっていたのである。

 善悪ということは価値判断のことである。盛衰ということは力のことである。この両者は相関関係をもたないという考え方は、並の人間にはできない。つまり、盛衰をもって善悪を判断するのが一般的であるからである。また、教訓のために善人が栄える、とは冷静な判断である。

 かつて「金もうけがなぜ悪い」と啖呵をきったインターネット関連企業の経営者がいた。あるいは、賞味期限の書き換えを「従業員が勝手にやった」と罪を他人に押し付けた社長がいた。そのほか、偽装・変装をして、巨万の富を蓄えたものがいる。それらは、一時は隆盛を極めたが、やがて更生法の適用を受けることになった。盛衰をもって善悪を論じていた評論家はたくさんいた。テレビのワイドショウに登場して、あたかも自分の業績のごとき顔をして自慢していた。それらのドン・キホーテは、今どんな顔をしているのだろうか。ややもすると人は盛衰をもって善悪を論じるものである。盛衰の根源は金銭である。拝金主義者にとって金満が美徳であり、善悪の基準である。ところが人類史は、人の道をもって善悪を判断してきた。

 ソクラテスが偉大であるのは金満であったからではない。市民広場であるアゴラで、裸足で、粗衣を着て道を説き、道を示したからである。その道とは「無知の知」である。知識ではなく「無知」の偉大さを教えたからである。無知から知が生まれ、思考が発達することを説いたからである。傲慢と虚勢を排し、謙虚と率直を説いたからである。毒盃をあおぎながらもその節を曲げなかったからである。洋の東西を問わず、真理は捨て身であることを、『葉隠』は示しているのである。
 

◆『いま、なぜ武士道なのか―現代に活かす「葉隠」100訓』

 

 

 

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