2024年4月19日(金)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年2月1日


司会 いまの技術でだったら…

 できただろうね、それは。

微笑む原正人氏

浜野 ただ、その企画、ゴーになってたとしても絶対どっかの段階で黒澤監督、介入して、「これは俺の思ってたのと違うんだ」なんて、その2人は大喧嘩になってたと思いますよ。

原 あはは(笑)。手塚さん自身も、もう、凝り屋だからね。千夜一夜物語の時も、結局誰にも任せきれなくて、1枚1枚セルを自分で描いてたくらいですから。
アニメってのはいくらでも直せますでしょ。実写だったらセットをバラして役者がいなくなったらそれでおしまいだけど、アニメはその気になればいくらでも、ね。だから大変だったですよ。訪ねていったら、手塚さんが、こーっ、机に向かってやってたなあ。

黒澤家の愛犬、名前の由来

浜野 黒澤監督って犬が大好きで、セントバーナードのでっかいのがいた。優秀な犬で、日本中のドッグショーを総なめしたっていう。これにつけてた名前が、実は「レオ」なんですよ。「ジャングル大帝」からとったんですね。これは、それくらい手塚治虫のことを買っていたという話です。

原 2人はそのあと、会う機会あったんだと思うけどなあ。僕はそういう機会を用意できなかったんだ。

浜野 
『デルス・ウザーラ』つくったあと、次の作品考えているとき、一部分アニメを使おうかという話があって、これは手塚先生に頼もうってことになったんでしょう、黒澤・手塚は一度中華料理屋で会合もったらしいんです。そのとき今の手塚プロ社長の松谷孝征さんが同行しててね。
それは面白い、今度の本(『大系・黒澤明』)にぜひ載せるから、写真くださいって言いました。そしたら松谷さんが言うのに、「みんな緊張していて、監督の言うことをただじーっと聞いてたから、写真なんか撮れなかったんだよ」って。

司会 セントバーナードとはまた、当時非常に珍しい犬種だったでしょうね。

浜野 世田谷区の松原っていうところに、400坪からある豪邸を構えていた時期があるんですよ。その頃のことのようです。

原 ぼくはその豪邸知らないんだよね、監督を知ったのは(家屋敷を)手放したあとだから。
ぼくが知った頃は代官山にツインタワーがあって、そのマンションに居られました。(一人娘の)和子さん(2)が確か、大学生くらい。

「富裕を描く」ためには…

原 昼食を出して下さるんだけど、これが近くの小川軒から取り寄せたもんなんです、老舗の洋風レストランだよね、小川軒っていったら。
当時ぼくは貧乏してたから、すげえもんだな、て思った。黒澤さんもけして楽ではなかったはずなんだけども、たとえ貧乏してても、いつも一流でなきゃだめだって主義だから、ね。


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