今年は日本映画界の巨匠、故・黒澤明監督の生誕百周年に当たる。記念の年、『大系・黒澤明』という大冊本が、4巻シリーズとして刊行中だ(講談社)。
監督作品の脚本はもとより、中学生時代の作文から、晩年、アニメーション作家・宮崎駿を相手に話した対談まで、監督生前の発言・発信と業績を細大漏らさず集めた文字どおりの大系を編集・解題しているのが、WEDGE Infinityでもおなじみの濱野保樹・東京大学教授。
戦後6年経ったばかりのヴェネツィア映画祭(1951年)で金獅子賞を取った『羅生門』や傑作『七人の侍』(54年)は言うに及ばず、監督が残した名作品の数々が、映像技術に比較を絶する進歩を見た今なお、若い世代によって再発見され、語り継がれているのはどうしてだろうか?
WEDGE Infinityは、それらの「なぜ」を、浜野氏に対談形式で取り上げてもらうことにした。
お相手を務めてくれたのは、この道52年、映画ビジネスとともに生きてきた原正人氏だ。
原氏は『デルス・ウザーラ』(75年)の実現に協力し、『乱』(85年)では自らプロデューサーを務め、黒澤作品2作を世に送った。年譜上、前者は監督が失意の底から抜け出す契機になった作として、後者は、黒澤映画最後の超大作として知られる。
70年、二十歳(はたち)になるかならぬ頃黒澤氏に出会った浜野氏と、同じ時期、黒澤監督との仕事をと考え始めた原氏とは、昭和日本を代表した名監督の晩年に立ち会い、おのおの濃厚な記憶を心中に焼きつけたところに共通点をもつ。
黒澤明とは、どんな仕事を、どんな仕方でした人だったか。口火を切ったのは浜野氏。「あり得たかも知れない、しかし結局はあり得なかった」2人の天才の握手とは、果たして…。
(司会・構成=谷口智彦・明治大学国際日本学部客員教授)