2024年4月16日(火)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年2月1日

司会 それは衣食住すべてで…?

原 衣食住すべて一流。

浜野 着るものについても若い人に言ってたのは、「創造とは記憶だから」と。貧乏は、日本人みんな貧乏だからよく知ってて、演出ができる。
でも富裕ということは、やってみなければその感じがつかめない。贅沢を描く映画が撮れないじゃないかといって、「借金してでもいいものを着ろ」って言ってましたねえ。そりゃ無理というもので、20代の若者に借金して贅沢しろといっても…。そんなふうでした。

司会 監督自身は若い頃からそんなだったんでしょうか。

乗っていた外国製セダンは

原 若い頃から一流主義だったんじゃないですか。というのは、当時の監督、昭和の20年代後半から30年代にかけてですよね、映画スタジオの全盛期。その頃の監督は、ギャラが良かった。名実ともエリートですよ、当時はね。経済力があったみたいです。

浜野 『用心棒』(61年)とか『椿三十郎』(62年)を撮っていた頃ですよね。当時黒澤監督はジャガーのセダンを買って、しかも運転手つきだったといいますから。

原 いまの映画監督には考えられない。

浜野 とてもとても…。

次回は『デルス・ウザーラ』誕生の経緯から。一流趣味の黒澤監督を苦しめたソビエト・ロシアの撮影現場秘話とは…)

(2)黒澤和子氏は54年生まれ、映画衣裳デザイナーとして近作多数

原正人(はら・まさと)
映画プロデューサー。
1931年埼玉県熊谷市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科中退。独立プロなどを経て、58年ヘラルド映画入社(61年日本ヘラルド映画に社名変更)。81年ヘラルド・エースを設立、映画製作に乗り出すと共に、ミニシアターブームの基礎を作る。95年角川書店と提携し、96年エース・ピクチャーズに社名変更。98年住友商事子会社のアスミックと合併、アスミック・エース エンタテインメントと社名変更、同社長就任。ほかに東京国際映画祭評議員など。主な受賞暦に日本アカデミー企画賞、日本映画テレビプロデューサー協会賞、藤本賞、淀川長治賞、日本映画ペンクラブ賞、フランスの芸術文化勲章オフィシェなど。
〈原正人氏 主なプロデュース作品〉

1983年 『戦場のメリークリスマス』 (大島渚)エグゼクティブ・プロデューサー
1987年 『瀬戸内少年野球団』 (篠田正浩)プロデューサー

1985年 『乱』 (黒澤明)プロデューサー
1985年 『銀河鉄道の夜』 (杉井ギザブロー)プロデューサー
1989年 『舞姫』 (篠田正浩)プロデューサー
1995年 『写楽』 (篠田正浩)プロデューサー
1996年 『月とキャベツ』 (篠原哲雄)エグゼクティブ・プロデューサー
1997年 『失楽園』 (森田芳光)プロデューサー
1998年 『リング』 (中田秀夫)エグゼクティブ・プロデューサー
1998年 『らせん』 (飯田譲治)エグゼクティブ・プロデューサー
1998年 『不夜城』 (李志毅 リー・チーガイ)プロデューサー
1999年 『金融腐食列島 呪縛』 (原田眞人)プロデューサー
2000年 『雨あがる』 (小泉尭史)プロデューサー
2002年 『突入せよ!「あさま山荘」事件』 (原田眞人)プロデューサー
2003年 『スパイ・ゾルゲ』 (篠田正浩)エグゼクティブ・スーパバイザー

2008年 『明日への遺言』(小泉尭史)プロデューサー

浜野保樹(はまの・やすき)
東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。
1951年生まれ。工学博士。コンテンツ産業や制作に関する研究開発に従事する。主な著書に『偽りの民主主義』(角川書店)『模倣される日本』(祥伝社)『表現のビジネス』(東京大学出版会)などがある。現在、『大系 黒澤明』(講談社)全4巻シリーズが刊行中。(財)黒澤明文化振興財団理事、(財)徳間記念アニメーション文化財団評議員、文化庁メディア芸術祭運営委員ほか。

 

 


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