毎年、初詣に訪れたい神社として多くの参拝客数を誇る伊勢神宮。昨年は三が日だけで37万人近い参拝客が訪れたことで知られる。今年も初日の出を見た多くの参拝客が正宮へと進み、新しい年への願いを込めて手を合わせることだろう。このように多くの人に親しまれる伊勢神宮であるが、じつは『古事記』にはあまり記述がなく、創祀伝承についてはまったく触れられてないことはご存じだろうか。本記事ではその謎について考察する。
*この記事は、『古事記に秘められた聖地・神社の謎』(三橋健編、古川順弘執筆、ウェッジ刊)から一部を抜粋したものです。
*この記事は、『古事記に秘められた聖地・神社の謎』(三橋健編、古川順弘執筆、ウェッジ刊)から一部を抜粋したものです。
『日本書紀』が記述する創祀の経緯
伊勢神宮は天皇家の祖先神であるアマテラス(天照大御神)を祀る、最も格式の高い神社だ。ならば、その創祀伝承は当然『古事記』に書かれてあるはずだと誰しもが思うところだろう。
ところが、意外にも『古事記』には伊勢神宮の始原に関する記述がない。『古事記』の文脈では伊勢神宮はいつのまにやら存在していることになっていて、創祀の経緯が書かれていないのだ。
しかし『日本書紀』にははっきり書かれてあって、それは伊勢神宮に関する最古の縁起伝承となっている。正確に言うとそれは伊勢神宮の中の内宮(ないくう)に関する縁起伝承で、第10代崇神(すじん)天皇と第11代垂仁(すいにん)天皇の章に記されている。その内容をまとめると、およそ次のようになる。
「アマテラスの御霊代(みたましろ)である八咫鏡(やたのかがみ)は神武天皇以来、宮中に祀られていたが、その霊威を畏れるあまり宮中から離して祀られることになった。そして、まず崇神天皇皇女のトヨスキイリビメ(豊鍬入姫命)によって大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に遷され、次の御世では神鏡は垂仁天皇皇女のヤマトヒメ(倭姫命)に託された。ヤマトヒメはアマテラスの鎮座地を求めて遍歴し、最後は伊勢国に至り、神託に従って祠(やしろ)を建てた」
この伊勢に建てられた「祠」が伊勢神宮(内宮)のはじまりになったのだという。これはあくまで伝承だが、皇祖神アマテラスが天皇の宮殿には祀られず、大和朝廷からすると東の僻地ともいえる伊勢の地に祀られていることの理由を明示する、格好の説話となっていることに注目したい。