『古事記』編纂時には創祀伝承がなかった?
ところが『古事記』を見ると、崇神天皇や垂仁天皇の章にこのようなドラマチックな伊勢神宮の鎮座伝承は書かれていない。各天皇の后妃や皇子女を列挙する箇所の、トヨスキイリビメとヤマトヒメの名前の下に、それぞれ割注という形で「伊勢の大神の宮を拝(いわ)ひ祭りき」と書かれているにすぎない。
なぜ『古事記』は伊勢神宮の鎮座伝承を省いたのだろうか。『古事記』が天皇家の由来や権威を説くことを主要な目的としていたのであれば、これははなはだ奇妙なことである。
可能性の一つとして、次のような論は成り立たないだろうか。「『日本書紀』の編纂時期には伊勢神宮の鎮座伝承は成立していたが、『古事記』の編纂時期にはまだ明確には成立していなかった。そのため、『古事記』は伊勢神宮のはじまりについてはっきり書くことができなかった」。
そもそも伊勢が古くから天皇家とゆかりの深い聖地であったのならば、高天原(たかまのはら)を発った天孫は九州の高千穂ではなく、伊勢に降臨してもよさそうなものだ。だがそうはなっていないところに、皇室と伊勢の関係の微妙さがみられる。
こうした問題は、伊勢神宮の本当の歴史的起源はいつなのか、アマテラスへの信仰は歴史的にはいつからはじまったのかという厄介で難しい問題とも関わってくる。伊勢と皇室のつながりの謎を解く重要な手掛かりが、『古事記』には潜んでいるのではないだろうか。