中国という鏡に映った日本人の自画像

2016年12月3日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知大学現代中国学部教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

 凡そ交渉事は、相手を相手以上に知り尽くしたうえで臨むべきものだろう。にもかかわらず、幕吏は事前の周到な準備がないままに上海に乗りこんで、清国側との交渉の席へ着いた。ぶっつけ本番の出たこと勝負になってしまった。かくして無手勝流にならざるを得ず、「受太刀もしどろもどろとな」り、結果として口を滑らせ、「餘りに正直なる應答」に誘い込まれる。いつしか相手の術策に嵌りこみ、こちらの腹の内を見透かされた挙句の果てに不要な言質を与えてしまう。こうなると待ち構えているのは、悲惨な結果でしかない。

 交渉に陪席した中牟田は、幕吏と上海側責任者の呉道台が応酬でみせた振る舞いから、両人の心理状態を探っている。

 道台が「辭令巧妙」に機先を制すと、「先を越されて幕吏聊か狼狽の氣味あり」。「探らるゝ質問」に、如何せん「受太刀」。「質問益々鋭利」になるばかりで、「受太刀もしどろもどろ」。「追窮少しも緩まず」、答に窮して幕吏は「赧顔の至り」。「知らんとする要領は皆知りたり」とほくそ笑む道台の余裕十分な態勢に気押されし、思わず「餘りに正直なる應答」をしてしまう。そこで背中を冷たい汗が流れる。かくて「流石に氣の毒にもあり」と「温顔にて慰め」られれば、幕吏は冷や汗を拭き「吻とす」る。散々な結末である。これでは外交交渉を有利に進められるわけもなく、外交上の果実をむざむざと相手に献上したも同然だ。

 幕末からから現在までの凡そ1世紀半。この間の対中交渉の歴史を概観するなら、幕吏が曝け出してしまった失態を笑っていられない。悲しいかな、これが現実の姿ではないか。

 さて再び舞台を文久2年の上海に戻す。

iStock

別室に移っての宴席

 幕吏の失態は、これだけでは終わりそうにない。次なる舞台が設えてあった。別室に移っての宴席だ。極度の緊張から解き放たれたからだろう。ついつい幕吏の口が軽くなる。

 幕吏が、1842年の南京条約で対外開放された上海・寧波・福州・厦門・広州の5港に加え、天津・漢口への日本船の入港は可能かと尋ねる。すると道台は「差支えなし」と応じているが、その種の質問は正式交渉の席で問い質すべきであろうに。酒席での話はその場限り。公式発言とは見做されず記録もされない。「酔った席でのこと」とシラを切られたらそれまで。この時の道台は、おそらく幕吏の外交音痴に呆れ果てたのではなかろうか。

だが、まだ続きがあった。

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