WEDGE REPORT

2016年12月31日

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風樹茂 (かざき・しげる)

作家、国際コンサルタント

作家、国際コンサルタント(kazakishigeru@gmail.com)。1956年、北海道生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。メキシコ留学後、中南米の専門商社を経て、南米アマゾンの奥地でODAプロジェクトの鉄道建設にかかわる。その後は、シンクタンク、研究所勤務などで、首相向けの政策提言、ODA援助、海外投資、NGOプロジェクトに従事。イスラム開発銀行のコンサルタントも経験し、30数カ国を踏査。石油関連事業でカタール、ベネズエラに駐在。

 2009年秋、私は身近にチャべスを見る機会があった。職場を訪れたのである。ジープを自ら運転し、元気に現場を歩きまわる外見からは全く健康そうに見えた。その4年後に死んでしまったことが、いまだ、私には信じられない。チャべス死の謎に挑む。

チャべスは自らジープを運転し元気だった

前立腺癌が発覚、手術後一気に悪化した

 チャべスはいつごろからか、歩行時に足が痛むと言い始めていた。大統領官邸のキューバ人医師たちを通じて、それを最初に知ったのはカストロである。2011年1月カストロはチャべスの元にスペイン医師ガルシア・サブリィノを送った。医師は前立腺癌を疑い、チャべスにきちんと検査したほうがいいと助言したが、医者嫌いのチャべスは受け付けなかった。

 けれども、5月の初めには左足の膝が痛み、歩行に困難を伴った。カストロの勧めもあり、チャべスはハバナへと飛び立った。外科・検査センター(Cimeq)で検査すると、前立腺癌が発覚し、骨盤に転移していた。

 6月10日、キューバ人医師が手術をした。その後、ロシア人医師が派遣され2度目の手術が行われた。6月30日、手術後療養中のチャべスはハバナからベネズエラ国民向けに伝えた。「偉大なフィデルが癌の辛い告知をしてくれた。癌細胞はすべて削除された」

 ベネズエラ政府も、チャべスは完治したと発表した。翌年12月に大統領選挙が迫っていた。その時から、チャべスは10回を超える頻繁なキューバ詣でによる治療を続けることになる。チャべスは化学療法(抗がん剤治療)を受け続け、ステロイド療法の力を借りて歩行困難を克服し、外遊などの政治活動を続けた。顔はむくみ、髪の毛は抜け落ちた。

 翌年1月8日にはチャべスは熱帯雨林のど真ん中に位置する、イランとの協力プロジェクト、セメント工場「セーロ・アスル」の前にいた。石油公社の職員を前に、日曜日のテレビ番組「こんにちわ 大統領」を7カ月振りに中継し、5時間しゃべり続け、サルサバンド「マデラ」が演奏する明るいリズムに乗って、南米の民族楽器レコレコを奏でながら踊った。癌を克服したかに見えた。

 けれども、2012年2月には同じ部位に癌が再発。2月26日にキューバで再手術を受け、放射線治療も始まった。手術後、チャベスは、カラカス沖160 キロにあるカリブ海のラ・オルチラ(La Orchila)島で秘密裏に療養したといわれる。陸軍・空軍の基地があり、軍・政府の高官のみが訪れる場所だった。

 皮肉だった。2002年のクーデター時にチャべスが幽閉された場所である。そのときは、命を奪われるか、キューバに亡命するか、それとも大統領で居続けるかの瀬戸際にいた。今は選挙までは生き続ける必要があった。

 2012年7月1日、選挙選の火ぶたが切られた。投票日は2カ月早められていた。チャベスは全国を巡る選挙キャラバンカーの上で、まだまだ元気に見えた。ボクサーの真似をし、ギターを弾き、歌い、踊り、叫んだ。「ビバ! ボリバル革命!」「勝利の日まで!」いつもと同じ空虚なお祭り騒ぎだった。熱狂する民衆は、めったに現実化しない幻想に酔わされ続けた。

 実際はチャべスは疲労、吐き気、痛みに耐え、モルヒネを打ちながら選挙戦を戦ったともいわれる。命をかけた甲斐があり、10月7日、得票率55%で、野党統一候補のエンリケ・カプリレス(44%)を退け4選を果たした。

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