ACADEMIC ANIMAL 知的探求者たち

2010年4月20日

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伊藤若冲や歌川国芳、曾我蕭白など、奇抜でユーモラスな画風ゆえに傍流とされていた画家たちを“奇想”というキーワードで再評価し、近世絵画史を大きく書き換えた辻惟雄氏。紋切り型の見方を打ち破り、伝統にモダンを発見した氏は、ユニークな視点で芸術に対座し続ける。
高井ジロル(以下、●印) 岐阜から東京の高校に転校して、意外にも大学は理系に進まれたとか。

辻 惟雄(以下「——」) 高2まで岐阜の高校にいたんですが、東大に入るために東京の日比谷高校に転入すると言い出した友だちがいたんですね。一緒にきてくれと言われて、親に相談してみたら、意外なことにOKが出て、編入試験を受けて日比谷高校に入りました。

 数学と理科が大の苦手だったんですが、医者だった親に理科を薦められて。父の跡を継ぐつもりで、東大教養学部の理科Ⅱ類に入学しました。それを条件に東京に行かせてもらったようなものだったので、ずいぶんがんばって勉強しましたね。語学が得意でしたから、それでなんとか、という感じです。

●文系少年ががんばって理数系に進んだわけですね。

インタビューに答える辻氏

——入ったはいいけど、理数系の授業についていくのは大変でね。高校でも絵を描くのが好きで図工の先生にかわいがってもらってましたが、大学でも美術サークルに入って絵を描いてばかり。学力は遅れる一方でした。

 さらに追い討ちをかけたのは、一年生の夏にかかった発疹チフス。東大病院に入院しましてね。40度の高熱が一週間続き、郷里から親も駆けつける大騒ぎとなりました。結局二年留年しましたが、医学部には進めませんでした。

●辻青年にとって第一の試練といった感じです。

——そんなとき、文学部に美術史という結構な学科があることを知って、そちらに進みました。昭和30年のことです。ガイダンスにいって、理科からこちらに来たいと言ったら、もったいないからやめなさい、と先生から諭されましたよ。当時は、文科から就職するなんてかなり難しい時代でしたからね。

 この頃は西洋美術に憧れていたんです。入院する前後にいろいろ考えるようになって、現代美術に興味を持ったんですね。特にピカソとかダリとか、意識下のものを描くようなシュールレアリスムに惹かれました。自分でもそういう絵を描いてみたけど芽が出ず、だんだんと見るほうにシフトしていきましたね。見てわかることと自分が作り出すこととは別だなと思いました。

 実を言うと、当時は画家になることにひそかに憧れていて、阿佐ヶ谷のデッサン研究所に通ったり、松本竣介を気取って、運河や工場をスケッチしたこともあります。芸大に受験し直すことも考えていたほどだったんですよ。

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