釜山の少女像より、ずっと説明の難しい難題だ。対馬の寺から盗まれた仏像に関する1月26日の韓国・大田地裁判決である。どうしてこんな判決が出てくるのかと聞かれても、具体的かつ説得力のありそうな説明はなかなか思い浮かばない。だから本稿では、一般論として韓国司法を取り巻く状況を考えてみたい。この判決に対しては、さすがに韓国内の専門家からも批判が強いという。控訴審で常識的な判断が出ることを期待したい。
それでも、まずは今回の件を簡単におさらいしておこう。問題となっている仏像は、2012年に対馬市の観音寺から盗まれた長崎県指定文化財「観世音菩薩坐像」だ。韓国に持ち込んだ窃盗団が摘発され、韓国当局に押収された。像の内部にあった「結縁文」の記述から1330年に韓国中部・浮石寺へ奉安されたものであることが判明。浮石寺が所有権を主張して韓国政府に引き渡しを求める訴訟を起こした。敗訴した韓国政府は即日控訴した。日本政府は訴訟とは関係なく、速やかな返還を外交ルートで求めてきた。窃盗団は刑事裁判で有罪となっており、一緒に盗まれたもう1体は既に日本に返還されている。これが全体の構図である。
韓国の専門家も判決には批判的
判決は、仏像の「戸籍謄本」といえる結縁文に譲渡の記録がないことや、浮石寺の周辺地域が倭寇に荒らされた記録があることなどを根拠に「原告(浮石寺)の所有だと十分に推定できる」と結論づけた。判決は表書きと判事の署名まで入れてもA4で6ページ。無理な結論に結びつけるために長大な理屈をこねくりまわしたというより、証拠認定からストレートに結論へとつなげている。非常にシンプルな印象だが、それだけに論理の粗さが目立つ。
盗まれた後に国境を越えた文化財の扱いに関しては、1972年に発効したユネスコ条約と呼ばれる国際取り決めがある。日本は2002年、韓国は1983年に批准した。条約は、加盟国で条約の効力が発生した後に盗まれた文化財が別の加盟国に持ち出された場合には返還するよう定めている。