フランスは、自由だというとテロリストがはびこり、平等だというと富裕層が逃げ出し、博愛だというと難民が押し寄せる状況になってしまった。
今回あたかもナポレオンが成したごとく彗星のように登場したのがエマヌエル・マクロンで、そのマクロンが勝利宣言の舞台に、すべて彼女のお陰だと手を引いて登壇したのが、妻ブリジットだ。それは単なるプロトコールではない。立候補を焚きつけたブリジットもほっとしていることであろう。ほかにもマクロンに決まってホッとしている人が多い。為替も株式も波乱が避けられたということだ。
とはいえ前途は多難だ。大統領の任期は元々7年だったのが、2002年以降5年になっている。ジャック・シラクの意向であった。シラクは一期目に7年やったが、ルペン父と争った2002年の回では5年に変更している。
そもそも、現在の第五共和制はドゴールの意向によるもので、単純化すればフランス政治の代表選手ナポレオンとドゴールということになる。そのドゴールが決めたのだ。
そもそもフランス革命で王様を殺してしまったので、フランス大統領選挙は王様選びの色彩が強い。7年であればその路線に乗るが、5年だとやや未消化である。したがって、任期5年になって以降二期大統領をやれた人はいない。あのミッテランでさえ、5年の任期であれば、非難轟轟で石もて追われたかもしれない。したがって、マクロンの前途も容易ではない。
最初の関門がフランス革命期に源を発する国民議会選挙となる。7月14日の革命より、一週間早い1789年7月9日に設立とある。したがって、ジャコバンやジロンド、ロベスピエールが主役だったこともあるのだ。セーヌ川にむかって雄々しくたつギリシャ風の建物が、マクロンの鬼門となるのだろうか。あと1カ月少々目が離せない。
ところで、当初は年の差婚ばかりに衆目がとらわれ逆トランプとかいわれて出会いの経緯など騒がれていた。しかし、徐々にマクロン夫人ブリジットの本質の部分に焦点が当たり始めた。現地メデイアによると、5月15日には首相の名前が明らかになるとしている。既に経歴的に相応しい候補が6名前後出ているが、もっとも正確な情報を持っているのは妻ブリジットであろうとしている。一方、彼女が直接何らかの役職につくかは不明としていた。