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2017年6月19日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

産經新聞前論説委員長

産經新聞前論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

 トランプ米大統領をめぐる一連の疑惑、“ロシアゲート”は、コミー米FBI(連邦捜査局)前長官の議会証言が、序盤のクライマックスだった。大統領が捜査に圧力をかけようとした形跡が色濃くにじんでいた。検察官は、トランプ氏自身も捜査対象に加えたとも伝えられている。一方、議会を含め米国内では、大統領を弾劾すべきだという強硬論が台頭してきている。トップをクビにする弾劾裁判―。有罪無罪もさることながら、その手続きが始まるだけで、米国の政治、社会が混乱するのは避けられない。

 米国独立以来240年、実際に議会で弾劾裁判が行われたことは、これまで2回ある。いずれも「無罪」評決だったものの、大統領の政治的基盤を損ない、権威を大きく失墜させた。

 トランプ氏について、弾劾の可能性を現時点で予測するのは早計だが、過去における「大統領の犯罪」を振り返りながら、今後の見通しを展望してみたい。

(iStock)

一票差の劇的無罪

 最初の弾劾裁判は南北戦争の直後1868年まで遡る。日本では明治維新の年だ。

 第17代、アンドリュー・ジョンソン大統領は、有名なアブラハム・リンカーンの暗殺を受けて1865年4月に副大統領から昇格した。民主党員の上院議員でありながら、共和党のリンカーンからナンバー2に起用されたのは、南部と北部、民主、共和両党の和解を実現するにうってつけの人物とみられたからだ。

 ジョンソン大統領は前任者の遺志を継ぎ、南北融和に心血を注いだが、南部への遺恨を捨てない議会共和党急進派は、これを苦々しく眺めていた。

 1868年2月、ジョンソン追い落としのまたとないチャンスが訪れた。大統領は、当時の陸軍長官(今の国防長官)を、機密情報を自らの政敵に流していたのではないかという疑念から罷免した。

 しかし、反大統領勢力は、前年に制定された政府高官の任免に関する法律に抵触するとしてこれを攻撃した。任命だけでなく、罷免にも議会の同意が必要なのに、大統領はそれをしなかったというのが理由だった。 

 大統領は、陸軍長官任命は、法律制定前のリンカーン時代であり、適用されないなどと反論したが、反大統領派は追及の手を緩めなかった。弾劾訴追するかどうかは下院で審議されるが、共和党が多数を占めていたことから訴追が決まった。
 
 10日後、上院で史上初めての弾劾裁判が開始された。当時の定数54のうち、共和党は弾劾成立に必要な3分の2を超える42議席を確保していた。弾劾成立はだれの目にも明らかに映った。

 ところが、起訴事実にあたる弾劾条項11項目の一つについての投票は、賛成35、反対19、3分の2を欠くことわずか一票という際どい結果で、否決されてしまった。

 権力争いによって大統領を追放することを潔しとしない共和党議員7人が党幹部の圧力をはねつけ、勇気ある造反を企てた結果だった。 

 10日後に行われた他の2項目の採決でも、賛成、反対同じ顔ぶれ、やはり一票差での否決だった。残りの条項については、もはや採決は見送られた。

こうして、ジョンソン大統領は劇的に弾劾を免れた。

 米憲政史上初の弾劾裁判は、政争の色彩が強かった。戦争直後においては、革命騒ぎなど、多くの国で政治、経済、社会の混乱がみられたことは歴史を紐解けば明らかだろう。

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