「2010年は、佐伯貴弘にとって、最高の年になりました」
人生には生き方を根底から覆すような言葉に出合うタイミングが何度かある。私にとってのそれはこの言葉である。10年、佐伯は18年間在籍した横浜ベイスターズから戦力外通告を受けた。〝2軍〟のファン感謝デーにスーツ姿で現れた佐伯は、涙に声を震わせながら冒頭の言葉をファンに届けた。
やりきれない思いも、言いたいことも、山ほどあるだろう。それら一切を飲み込み、力強い足取りでグラウンドを去っていく佐伯の背中ほど美しいものはない、とさえ思えた。憚(はばか)りながらではあるが、しばらく私の昔話にお付き合い願いたい。
朝6時。太陽が昇るが如く、佐伯は規則正しくグラウンドにやってくる。誰もいないトレーニングルームで、2時間のトレーニング。「歯を磨くようなもの」と本人は嘯(うそぶ)くが、毎日の歯磨きも2時間だと、さすがに続ける自信がない。10年、佐伯は2軍にいた。当時40歳を迎えるベテランであったが、前年の09年には1軍で114試合に出場し、12本のホームランを放っている。この年、チームは新監督を迎え、村田修一、内川聖一を中心としたチームに若返りを図ろうとしていた。佐伯には、わずかなチャンスさえ与えられなかった。2軍でのチャンスさえ、である。それでも、2試合に一度あるかないかの代打のために、毎朝6時にやってくる。
「あそこでふてくされるのは簡単やった。でも、そんな姿、誰が見たい? 俺には俺のやるべきことがあった」
佐伯のやるべきこと。それは横浜を強いチームにすることであった。
「1998年の優勝以降、強いチームでいることに全てを捧げてきた。それ以外は頭になかった。誰かに好かれようとか、よく思われようとか、そういうことには全く興味がなかった」
小学校2年生のときに父が他界。母と祖母は朝早くから夜遅くまで働き、家計を支えた。その光景を見るたびに、「この人たちのために、俺はプロ野球選手にならなければならない」と、固く誓った。何かのため。佐伯の原動力は常にそこから生まれてくる。腐っている姿と、一生懸命な姿、どちらがチームのためになるかと考えれば、答えは明確であった。