奥村武博。文武両道で生きていってほしいと、名づけられた武と博。今、元プロ野球選手初の公認会計士が生まれようとしている。
「順調に行けば、7月に正式に認可が下り、公認会計士になります」
爽やかに語る身長188センチが、より大きく見える。2013年、公認会計士2次試験(論文式試験)に合格。言わずと知れた難関試験だが、04年から9年越しの夢を叶(かな)えた。01年に阪神タイガースから戦力外通告を受け、16年の月日が流れた。16年である。現在の爽やかな表情が奥村の顔に宿るまでにかかった歳月でもある。
岐阜県立土岐商業高校の3年生だった1997年、阪神タイガースからドラフト6位で指名を受けた。
「同期の井川慶のボールが、いきなり衝撃的だった」。奥村が助走をつけて全力で投げてやっと届く距離を、井川は軽く投げ返してくる。のちに阪神の大エースになる同期のプレーを目の当たりにし、早速プロのレベルを思い知った。無我夢中で1年目を過ごし、その無理がたたったのか、オフに右肘を手術する。2年目のほとんどをリハビリに費やしたが、秋季キャンプでは翌年から就任する野村監督の目に留まった。「小山二世」と称され、3年目の1月には強化指定選手に指名され、オープン戦では1軍に帯同する。
大いに期待されたシーズンだったが、肋骨(ろっこつ)を疲労骨折する。秋には復帰するも、患部をかばって投げていたために、今度は肩を痛めた。4年目は、肩をかばいつつ投げるものの、それで抑えられるほどプロは甘くない。そのまま秋になり、ついに、その日がやってきた。
「鳴るはずのない寮の部屋の内線が急に鳴ってね。あぁ来たかって思ったよ」