2024年11月25日(月)

ヒットメーカーの舞台裏

2010年7月30日

 アルバイトで生計を立てながら、終業後は毎日、雑貨専門店に通い始めた。商品を眺めながら、どう加工するのか、材質は何だろうと考え、店員にも聞いてみた。金属加工機であるフライス盤や旋盤の存在を知ると実物が見たくて、今度は自宅近隣の町工場を片っ端から訪ね歩いた。

 ただ見学させてでは相手も困るので、金属と木材による机をデザインし、図面らしきものをひいた。「これを作りたいのですが」と訴えたが、大半は迷惑がられ門前払い状態だった。しかし50軒も回ると、面白がってくれる工場が2、3軒あり、機械を使ってもいいよと言ってくれる工場主も現れた。

 そのうち、得意のパソコンでCAD(コンピュータ支援設計)もマスターし、初めての作品に挑んだ。ノートパソコンを使う時の冷却台だった。試作品をネット上で公開すると反響があり、バルミューダ社を立ち上げた。その後もLED照明機器を作ったが、これも納得のいく出来だったものの、いかんせん価格が高かった。寺尾はハタと考えた。「メーカーになりたいとの一心」で、会社も製品も作った。だが、コストも含めて世の中に必要とされるものを作らないと、メーカーの存在意義はないのだという「現実」を思い知らされた。

試作を重ねて行きついた2種類の羽根

 送風機の製品化には2年を要した。「必要とされるもの」を模索するうちに、地球環境と石油エネルギー枯渇の問題にぶつかった。温暖化で暑くなる夏を快適に過ごすには―と連想し、省エネ型で自然に近い風を生み出せば、従来の扇風機を超えたものができると確信した。  開発には町工場での経験が生かされた。どこも夏は大きな扇風機を使っているが、風をいったん壁に当てることが多い。「柔らかい風が来るよ」と聞いていたが、実際そうだった。空気の固まりが壁に当たって拡散するからだった。しかし、送風機に壁をつけるわけにはいかない。  

 寺尾は気体や液体など「流体」についての基礎を勉強してみた。そこから速度の違う流体(空気)を干渉させれば、ぶつかり合い壁に当てるような現象が起きると分かった。こうして2種類の羽根に行きついたのだった。羽根の枚数や形状は、とにかく、試作を重ねることで理想形を探した。  

 大企業のように大掛かりな実験装置はないので「理論より体感」で、解を求め、試作品は数十枚に達した。会社設立以来、寺尾は「自分が納得できる製品づくり」に突っ走って来たが、今回の製品で初めて「納得」と「必要とされるもの」を両立させることができた。(敬称略)

⇒次ページ ヒットメーカー・寺尾玄さんができるまで


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