赤坂英一の野球丸

2017年6月28日

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 盟主と呼ばれる球団でこんな親会社主導の〝粛清人事〟がまかり通っているようでは、なかなか日本のプロ野球界にGM(ゼネラルマネージャー)という役職は根付かないのではないか。改めてそう痛感させられたのが、シーズン途中での巨人のGM交代劇である。

(iStock)

 今月13日、球団史上ワースト記録の13連敗を喫するなど、低迷が続いた責任を取らされ、GMの堤辰佳氏が事実上解任された。後釜として、元巨人投手で、コーチ歴もあり、今年からGM特別補佐に就任していた鹿取義隆氏が昇格。巨人では初めての〝選手上がり〟のGM、しかも現役時代から実直な性格で知られているだけに、チームとフロントのパイプ役にはうってつけの人材と期待されている。

 しかし、選手として実績のあるGMは必ずしも成功していない。すぐに思い出されるのは、2013年シーズンオフに中日のGMに就任しながら、14年4位、15年5位、16年6位とチームが低迷、契約期間満了となる17年1月で〝クビ〟となった落合博満氏。過去の例を見ても、1995年に日本球界で初のGMとしてロッテに招聘された広岡達朗氏が96年に任期途中で解任。オリックス、阪神でGMを務めた中村勝広氏も目立った実績を挙げたとは言えず、在職中に急逝した2015年以降、阪神では後任を置く必要性を認めず、GM職は空席のままとなっている。

 日本ハム、DeNAでGMを歴任している高田繁氏は稀有な成功例と言っていいだろうが、11年シーズンオフにDeNAのGMに就任して以来、Aクラスは5年間で一度だけ。最も目覚ましい実績を挙げた日本ハム時代については、「実際に仕事をしていたのは吉村GM補佐(浩・現GM)をはじめとした球団スタッフ」と高田氏本人が吐露している。

 巨人では清武英利氏、原沢敦氏、堤氏と親会社・読売新聞社からの出向組がGMを務めていた。それ以前の球団代表だった三山秀昭氏も名刺の裏にはGMという肩書きを入れている。しかし、その三山氏がスカウトによる〝裏金問題〟の責任を取って辞任、清武氏が〝読売のドン〟渡辺恒雄・主筆に公然と反旗を翻して解雇、原沢氏も当時の原辰徳監督に疎まれて勇退、さらに今回の堤氏と、誰も彼もろくな辞め方をしていない。

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