「東海道」----- 歴史といまが交錯する不屈の道。
本書は、写真家・林忠彦最後の写真集『林忠彦写真集 東海道』と、その息子・林義勝が月刊誌『ひととき』の連載企画「東海道万華鏡」で撮影した作品を抜粋して構成した、親子二代にわたる「東海道」の写真集。
林忠彦版「東海道」は、「東海道五十三次」を江戸から京都まで、わずかに残る江戸時代の面影を求めて撮影したもの。かつて集英社から大版の写真集として刊行され、NHKテレビで取り上げられて異例のベストセラーとなったが、すでに絶版となって久しく、多くの読者から再刊の要望があり、今回廉価版として再編集した。
当時、肝臓癌に冒されていた林忠彦は、残された命と競争しながら、車椅子で撮影を続けた。そしてこの撮影を支えたのが、息子・林義勝であった。
その林義勝版「東海道」のテーマは、「十六夜日記 - 歌枕の風景」。鎌倉時代の女流歌人・阿仏尼(あぶつに)が記した「十六夜(いざよい)日記」の旅をたどったもの。こちらは京都から鎌倉までの鎌倉時代の「東(あずま)下り」の旅。
本書は、昭和を代表する写真家・林忠彦と、息子・義勝による、親子二代にわたって撮影された「東海道」写真集であり、「江戸時代」と「鎌倉時代」、二つの時代の面影をたどる、東海道を行き交う現代の旅人におくる写真集である。
針の穴から江戸の面影を 林忠彦
もう三十年あまり昔のことである。某週刊誌が創刊されて間もなく、グラビアページに「東海道」の撮影を依頼され、浜松・白須賀(しらすか)周辺に出かけた。そこには往時を偲ぶ旧街道の松並木が、美しく縦列していた。が、よく見れば、ところどころ歯が欠けたようになっていた。僕は瞬間、これは松喰虫が原因ではなく、大気汚染のためと、人間の手によって伐られたものだと悟った。江戸の面影も加速度的に失われていく。いつか東海道を記録しておきたい、林忠彦の「東海道」を撮影したいと、ひそかに決意していた。
話は五年前に溯る。入院中の出来事である。細胞の検査結果のカルテを手にとった主治医の顔色を、僕は見逃さなかった。
「先生、私は永年、人物写真を撮ってきました。いま先生がどういうふうに診断されたか、わかるような気がします。私にもこれからの人生の計画があります。はっきりおっしゃってください」
「精密検査の必要がありますね」
「とうとう肝臓ガンか……」。人はよく目の前が暗くなると表現するが、真実、その瞬間、目の前が真っ暗となった。
ガンの再発は普通、一年、二年、五年が目安とされている。僕は自分の体力から判断して、五年は大丈夫だろうと自らを奮い立たせた。五年の間に自分の最後のライフワーク、命と競争し、たとえ引き換えにしてでも、作品を残しておきたかった。それが三十年間あたためていた「東海道」である。
「東海道」と言えば、誰しも安藤広重の『東海道五十三次』を想起する。この作品は、浮世絵に風景画のジャンルを広げた。画面は躍動感に満ち、大胆なデフォルメーションによる構図は、まさに簡単の一語である。しかしこの作品には、一宿一図という制約があった。彼は気に入った宿場を、もっと多く自由に描きたかったに相違ない。
僕は広重と違い、自分の気に入った場所、風景を、自由に撮りたかった。江戸の面影を現代の眼で記録したかったのである。
とは言ったもののこの撮影は容易なものではなかった。列島改造論以後の日本は、加速度的に変貌を遂げていった。日本にはもはや風景がないとさえ思ったほどだ。旧街道の中に、とりわけ東海道に江戸の面影、情緒を求めるのは、針の穴から探すようなものである。
かつての僕は、決められた時間内に、要求された仕事を完璧に仕上げることを誇りにしていた。いわば往復切符を手にした撮影行であった。しかし今回ばかりは、それが不可能である。どの場所も一度で終わったことはない。箱根・富士などは何度通ったか思い出せない。五回、十回ではきかないのである。今度の旅は、片道切符の終わりのない撮影であった。
加えて、この「東海道」と取り組んで一年半ほど経過した頃、北海道で脳内出血で倒れ、右半身不随の身となった。肝硬変は酒による不摂生と諦めてはいたが、もっともなりたくない病気に襲われたのである。幸いリハビリで、字がやっと少し書けるところまで回復したが、以後、車椅子による撮影となった。僕のもっとも尊敬する先輩、土門拳氏も車椅子による撮影の不自由さを嘆かれていたが、いまや僕もその苦労を思い知らされている。
今回の仕事のために、ワンボックスカーを求め、東海道を往き来してきた。助手や多くの写友たちの助けを借りながら、何度この車に乗り降りしたことだろう。健康人には理解できない苦痛があった。しかしそれに耐えてこられたのも、この仕事への執念があったからである。
刻々移り変わる風景の決定的瞬間を捉えるのも、この執念のなせる業であろう。写真はその現場にいない限り、撮れない。その思いが、僕の病気を忘れさせ、駆り立ててくれた。納得いく一枚の作品のために。……(続きは本書でお読みください)
<目次>
林忠彦 「東海道」
林義勝 「十六夜日記―歌枕の風景」
東海道 夢のなごり
・針の穴から江戸の面影を--林忠彦・文
・東海道撮影記----------林忠彦・文
・阿仏尼と『十六夜日記』--安田純生・文
・あとがきにかえて--------林義勝・文