ドローン・ジャーナリズム

2017年8月14日

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渡辺秋男 (わたなべ・あきお)

クレセントエルデザイン代表

1976年、東京都生まれ。(有)クレセントエルデザイン代表。かつてヘリコプターのエンジニアだった父を持つ。日本機械学会の100周年にちなんだ『100ジュールロボットコンテスト』において、ヘリコプターをモチーフにした作品を出品し創造賞を受賞。現在はシステム開発やウェブ制作の会社を経営し、ドローンによる空撮サービスも行う。空撮映像はフランス国営テレビやNHKをはじめ世界から評価を得ている。
 

 毎年、お盆の時期になると各種メディアで過去の「日航機墜落事故」の報道が伝えられる。1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せたJAL123便が群馬県と長野県の県境の御巣鷹山に墜落した。国内の航空機史上、今でも最悪の事故である。昨年、私はこのドローンジャーナリズムのコーナーで「御巣鷹の尾根はやさしい風に包まれていた」という記事を書かせていただいた。 その記事では、日航ジャンボ機墜落現場に最初にたどり着き生存者の発見にも立ち会ったカメラマンである、小平尚典氏に誘われて初めて御巣鷹山に登り、そしてドローンでこの御巣鷹の尾根を上空から撮影した映像を紹介させていただいた。

 前回の慰霊登山から2年後の今年、小平氏から再度、登山の誘いを受けた。高齢で御巣鷹山に登ることができなくなった遺族の代わりに慰霊登山をしたいという。その小平氏と共に慰霊登山に行ってきた様子をドローンと手持ちカメラで撮影してきたので、まずはこの動画を見ていただきたい。

4/524 - Japan Air Lines Flight 123 - 33回目の夏を迎えた御巣鷹の尾根 

 オープニングのシーンは123便の主翼が最初に山に接触し、山肌がV字にえぐられた「V字 講」ごしの墜落現場である。32年の時を経てもV字に切れ込んだ傷跡は遠くからでも鮮明に見て取れる。

 

 V字の先の、画面中央にある、山の地肌が茶色く現れている場所が墜落現場である御巣鷹の尾根だ。

 

 向かって右側の谷の部分がスゲノ沢と呼ばれる沢で、たくさんの命が失われた場所であるとともに、4人の生存者が見つかった場所でもある。映像内のモノクロの写真は全て当時小平氏が撮影したものである。

 航空会社の名前が書かれた主翼。

 

 焼け焦げたエンジン。

 

 スゲノ沢の森の中で撮影した木漏れ日。

 

 当時、ジャンボジェット機が衝突した衝撃でたくさんの木々がなぎ倒され、山肌も削り取られた。その凄惨な現場も、今では映像のように自然の力によって蘇っている。

 

 事故から6年後の1991年の夏、小平尚典氏は写真集「4/524」を発表した。この写真集は、昭和から平成に元号が変わり、時代の移り変わりによって事故の記憶が風化しないようにとの思いを込めて、日米同時に発表されたものである。この写真集「4/524」と一緒に登山道を登って行った。

 

 森に入るとすぐに登山道は沢を流れる豊かな水音に包まれる。遺族の方がたてられたのか、慰霊のための地蔵尊や風車が見られた。

 

 元米安全運輸委員会の委員長ジム・バーネット氏の言葉が刻まれた石碑もあり、そこには次のような言葉が刻まれていた。

 

御巣鷹の尾根登山で、私は霊感を受けました。 途中、私達はいつも沢沿いを上りましたが、 私には、なにか水の流れが、私達に語りかけ、 登山を励ましてくれているような気がしました。そして私の願いは、あの御巣鷹の尾根で、 また、他の、7つの全ての墜落現場で亡くなられた方々への想いが、 こんなことを二度と起こさせまいとする私達の努力に、 いつまでも力を与えて下さることです。

ジム・バーネット

 小平氏は一歩一歩を踏みしめるようにゆっくりと登山道をのぼり、時折足を止めて写真を撮った。登山道入り口から昇魂の碑までは800mほどの道のりだが、勾配がきつく成人男性であっても40分ほどかかる。

 

 昇魂の碑の左右には数々の短冊が結ばれている。短冊には亡くなった方々へのそれぞれの思いが書かれていた。空の安全を祈念する言葉や、2度と同じ事故が発生しないことを祈る言葉。冥福を祈る言葉など。その中に、三十三回忌を一区切りとして、来年からは檀家のお寺で供養をします、との言葉も見られた。

 

 事故から32年目の今年は、仏事においては「三十三回忌」にあたり、年忌法要を終える「弔い上げ」と呼ばれるそうだ。仏教の世界では、三十三年がたつと、人はみな極楽浄土に行けるため、戒名も個人名からご先祖様に仲間入りするという意味で「先祖の霊」という位牌に変えられるのだと言う。ご遺族のそれぞれの思いは一つではないであろうが、今年を一区切りと思われる方も多いのかもしれない。しかし、これによりこの事故そのものを風化させることはあってはならない。

 失われた520名の尊い御霊は安らかに眠ってほしい。しかし、この事故の教訓はずっと語り継いでいかなくてはいけない。事故から長い月日を経て、高齢で慰霊登山ができなくなってしまったご遺族も多くいる、その一方で、事故をリアルタイムでは知らない若い世代が、御巣鷹山に訪れるのも目にする。また、航空従事者はもちろん、それ以外でも、例えば鉄道会社などが、安全教育の一環としてこの慰霊登山を行なっているようである。このような社会的な動きは今後も活発に行なっていくべきであろう。

 我々は昇魂の碑に祈りを捧げた後、生存者が見つかったスゲノ沢に向かった。スゲノ沢には、2年前にはなかった沢山の風車が登山道にそって一列に備えられていた。この場所が寂しくならないようにという思いを込めたものであろうか。

 
 

 小平氏は自身の写真集にある32年前のスゲノ沢と現在のスゲノ沢を感慨深げに見比べた。

 
 

 このスゲノ沢へは、現在の登山道とは反対側の長野県川上村方面から山を超えてたどり着いたという。事故現場の撮影を終えたのち、小平氏は6時間かけてこの沢伝いに道無き道を下った。濡れないように何重にもビニール袋につつんだ写真フィルムをしっかりと胸にだき、早くこの事故のことを伝えなければという思いで必死に山を降りたそうだ。

 
 
 

 登山道の途中に、慰霊登山を行うご遺族のための休憩小屋が建っていた。足を休める椅子などが置かれた小屋の中、小さな机の上に大学ノートの芳名帳が置かれていた。はからずも、小平氏は「4/524」をここに供え、私たちはこの慰霊登山を終えた。

  
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