チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年9月9日

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有本 香 (ありもと・かおり)

ジャーナリスト

企画会社経営。東京外国語大学卒業後、雑誌編集長を経て独立。近年とくに中国の民族問題の取材に注力している。『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社)『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』(祥伝社)の他、近著に『中国の「日本買収」計画』(WAC BUNKO)がある。

 今回は、日中両国の国民感情について書く予定のところへ、中国の「トロール漁船」船長逮捕の報道が飛び込んできた。事件の経緯はすでに報じられているので重複しての説明は避けるが、しかし、あえて、この事件と絡めながら、日中両国の国民感情なるものについて考えてみることとしたい。

中国らしくない不自然なまでに抑制のきいた「デモ」

 中国関連のニュースは往々にして、過去の類似したケースの報道と比較して見ると、面白く見えることがある。その場合は大抵、2つの事柄がはっきりと見て取れる。1つは、中国が執拗なまでにこだわり続ける事柄であり、もう1つはまったく反対に、「節操がないか」と思われるほど、時々の都合で豹変してみせる事柄である。

 たとえば、今回の「トロール漁船」の船長逮捕の件に関連する報道を、5年前の「反日デモ」と銘打った乱暴狼藉事件と比較してみて見ると、やはり2つの流れが明確に読み取れる。まずは、「節操のない」ほうから具体的に見ていくこととしよう。

 今般の船長逮捕の後、例によって、中国政府の報道官は「尖閣諸島は中国の領土であり、船長の逮捕は遺憾」とのコメントを出した。その後は日本の大使を呼び付けて抗議し、北京の日本大使館前で、「民間団体による日本への抗議デモ」が行なわれたと報じられた。

 ところが、その「抗議デモ」の映像はなんとも不自然なものに見えた。

 5年前、中国各地で繰り広げられた乱暴狼藉の限りを思い出して比較すると、今回のそれは、あまりにも抑制のきいた「デモ」であって、どうみても中国らしくない。

 デモはおろか集会の自由も保障されていない中国では、5年前の乱暴狼藉も、今回の不気味なほど整然としたデモも、ともに「官製デモ」であったことに変わりはない。つまり今回と前回のデモの「節操ないまでの違い」は、「抗議デモ」という手法を用いて、「何をどう見せたいか」という当局の狙いが異なっていただけのことなのだ。

 端的にいえば、5年前には人民を動員し、目一杯騒ぎ立てさせることで、日本人の気持ちの中に「日本帝国主義の復活」と「日本の孤立」への恐怖を呼び覚ましたかったのである。一方、今回の狙いは別のところにあって、日中両国の国民感情を荒立ててはならないが、しかし、「自国領」と主張している尖閣諸島付近での「日本の暴挙」に対しては一応、人民が抗議している絵を残す必要があったのだろう。

 にもかかわらず、この違いを見て、「5年前と比べると、日中の民間交流が進んだ結果、反日感情が和らいだのだろう」と分析したテレビ文化人がいたようだが、いまだに、そんな的外れの分析を披歴する人がいることには驚きを禁じ得ない。

「日中共同世論調査」が開始された年とは?

 中国国民の止むに止まれぬ感情の表出であるかのように装われた、5年前の「反日デモ」は、政府によって誘導された「お芝居」であった。

 一方、当時すでに各地で暴動が頻発するほど不満をため込んでいた中国人民のガス抜きの効果をも同時に求めたがために、自由にやらせ過ぎてしまい、マイナスの効果しかもたらさなかったというのが実のところだ。

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