コラムの時代の愛−辺境の声−

2017年9月8日

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藤原章生 (ふじわら・あきお)

毎日新聞記者

1961年、福島県生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山に入社。89年に毎日新聞社に入り、ジャーナリズムの道へ。92年に外信部に所属し、 93年にメキシコ留学。帰国後の95年から南アフリカ・ヨハネスブルグでアフリカ特派員、2002年からは、メキシコ市支局長、ラテンアメリカ特派員。08年〜12年までローマ支局長。5 年半に渡るアフリカ特派員時代の取材を元にした著書『絵はがきにされた少年』(集英社文庫)で05年の開高健ノンフィクション賞受賞。著書に、『世界はフラットにもの悲しくて』(テン・ブックス)、『資本主義の「終わりの始まり」―ギリシャ、イタリアで起きていること』 (新潮選書)、『ギリシャ危機の真実 ルポ「破綻」国家を行く』(毎日新聞社)『翻弄者』(集英社)、『ガルシア=マルケスに葬られた女』(集英社)。

 少し前のこと。ある作家が、一時テレビによく出ていた霊能者について「お金と名声を追ったため、力がなくなった」と話していた。

 この作家はあるとき霊的な体験に見舞われ、それを鎮めようとさまざまな霊能者に会ううちに、無名時代のその霊能者と知り合ったそうだ。

 「無名のころは確かに力があったんですけど、ああいう能力ってのは物質的にお金とか有名とか、そういうことに関心を持つようになるとなくなっていくんですよ。自分でそう言ってたんですよ。それがああしてテレビに出てああいう風になっていくと……」

 原則を忘れてしまうということか。

 「そう。忘れちゃうんですよ。私はテレビに出るのは猛反対したんですよ。あの人は自分でも『自分は気が弱いのが欠点で』って言ってて本当に気の弱い人で、断れないんです。テレビっていうのは本当に良くないんですよ」

Photo by MARY CYBULSKI ©2016 Inkjet Inc. All Rights Reserved.

 米国のジム・ジャームッシュ監督の新作映画「パターソン」を見て、この作家の言葉を思い出した。

 映画は霊能者ではなく詩人の話だ。

 米国の小さな町でバス運転手として生計を立てる若い詩人の一週間を、静かながら、クスッと笑いたくなるような軽やかなユーモアを散りばめ、描いている。

 主人公パターソンには宝物がいくつかある。英語の発音から移民一世とみられる美しい妻と愛犬のブルドッグ、そして小さなノートブックとペンだ。

Photo by MARY CYBULSKI ©2016 Inkjet Inc. All Rights Reserved.
Photo by MARY CYBULSKI ©2016 Inkjet Inc. All Rights Reserved.

 日々、大きな事件は起きない。彼は早朝からバスを動かし、座席から聞こえてくる乗客たちの何気ない会話に耳を傾け、昼休みは弁当を食べ終えると、一人、運転席で、ノートに詩を書く。

 仕事が終わって家に帰れば、寡黙な彼は、何かと発案家で行動的な妻の話にもっぱら聞き役として耳を傾け、日が暮れると、犬の散歩ついでに近所のバーでビールを一杯だけゆっくり楽しむ。

 詩の本を読んで短い夜を過ごすと、妻を腕に抱いて眠りに落ち、再び前の日と同じような朝を迎える。

 彼の詩を愛する妻がしきりに「出版したらいい」と勧めるが、彼は二つ返事でなかなか乗り気にならない。

 発表するほどの作品に仕上がっていないのか、そもそも発表する気がないのか、詩を書くこと、表現することだけで彼は満ち足りているのか。あるいは人に見せないからこそ、言葉は言葉としてその繊細さを保つと感じているのか。

 その答えを映画ははっきりとは説かない。だが、ある晩、寂しくなった愛犬が、たまたまソファに置き忘れた彼のノートを咬みちぎり、文字も読めなくなるくらい粉々にする「大きな事件」が一つのヒントを与えてくれる。

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