チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年9月29日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 中国共産党が支配する中国は「無責任国家」である。中国の国内外であらゆる問題が起こるたびに「あらゆる責任は○○が負わなければならない」という強硬極まりない主張をするのは、「偉大で、栄えある、正しい中国共産党」という常套句に誤りなどあってはならず、敗北は即座に自らの鍍金が剥がれることを意味するからであろう。中国は、「我々は150年来列強に抑圧された弱者であり、弱者が強者に立ち向かう正義の感情こそ優先されるべきだ」という発想の下、自らは決して責任を負おうともせず、如何にも「自らの感情が著しく傷ついた」かのように振る舞い、相手を追い詰める策を講じ、恐れをなしてひるんだ相手が「自分が悪かった」という気分に陥って譲歩するのを座して待つ。このような意味で無責任な国家が、これから大国として台頭することをどうして黙認できるだろうか。

中国の「無責任国家」体質は
いつから始まったのか?

 この態度は今に始まったものではない。むしろ、中国共産党約80年の歴史を通じて抜きがたく染みついている。「既存の体制や秩序を打倒するためにはありとあらゆる手を使っても良い。政権は銃口から生まれる」という発想は、レーニン主義的独裁政権が当然のように掲げるものである。とりわけ建党以来資金・軍備面で国民党に圧倒され、地下活動に追い込まれて困窮していた共産党は、権力の手が薄い農村において、体力はあるものの粗野な農民やごろつきを焚きつけて動員し、突如天地をひっくり返す嵐のような「革命運動」(実質的にはただのテロルである)を起こすことによってしか勢力を拡大できなかった(具体的な手法は毛沢東「湖南農民運動報告」に詳しい)。

 1949年以後の中華人民共和国史は、このような毛沢東式のゼロサム的作為に満ちあふれている。それまで勤勉に富を蓄え技術を磨いてきた経営者や富農は、「土地改革」あるいは企業国有化の荒波の中で「貧苦人民への搾取」を理由に大量虐殺されたし、問題が起こることに異論やライバルは「敵対矛盾」の名において濡れ衣を着せられ抹殺されてきた。

 改革・開放後も、ソ連・東欧社会主義圏の崩壊によって「西側諸国は通商・文化交流など平和的手段で共産党政権を滅ぼそうとしている」という「和平演変(平和的体制転換)」論が台頭して以来、中国ナショナリズムと外交は「実力のみが変転著しい国際社会で生き延び、他国を自国に従わせる手段である」という、あたかも帝国主義ひしめく19世紀末を彷彿とさせるような世界観を深めた。とくに1996年の台湾海峡危機および1999年の駐ベオグラード中国大使館空爆は、弱肉強食の観念をなかば信仰心にまで高めたといえる。もちろん、強硬な態度を嫌って国際協調による「平和的台頭」を説く主張も根強いが、総じて目立つのはナショナリズムの守り手を自認する軍の強硬論である。

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