公立中学が挑む教育改革

2017年11月1日

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多田慎介 (ただ・しんすけ)

ライター

1983年、石川県金沢市生まれ。大学中退後に求人広告代理店へアルバイト入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職を経験。編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。

教育現場にはびこる「目的と手段の履き違え」

 第三者から見て型破りに思えるのは式辞だけではない。今年の夏休み、麹町中学校ではほとんど宿題が出なかった。生徒に課したのは、どうしても外せなかった千代田区指定の作文だけだったという。同校が極力宿題を出さないようにしているのは、工藤氏の教育方針によるものだ。

 

「多くの教員は勉強することの意味を履き違えてしまっていると思います。だからむやみやたらに宿題を出す。本来の勉強の意味とは、生徒たちが『分かる』『分からない』を自覚し、分からないことを分かるようにすることです。一律に宿題を課せば、すでに分かる状態にある生徒に無駄な時間を強いることになります」

 工藤氏が例に挙げるのは、最多連勝記録を塗り替えて話題となった中学3年生のプロ棋士、藤井聡太四段のエピソードだ。その人柄を伝える報道の中で、「藤井四段は宿題をやらない」と紹介された。担任教諭に対して「授業をきちっと聞いているのに、なぜ宿題をやる必要があるのか」と語ったという。

「藤井四段の言いたいことはよく理解できます。自分にはすでに分かっている範囲のことなのに、単なる作業として宿題に取り組み提出しなければならない。優秀な成績を収め、『やりたいこと』が明確な生徒にも一律に同じ内容の宿題を課すことが、正しい教育だと言えるでしょうか?」

「私が見てきた限り、宿題を課された生徒は分かる範囲には積極的に取り組みます。しかし残り2割ほどの分からない範囲はやらない。それでも8割はできているから教員はOKを出すんです。これで『宿題を出すというタスク』が完了したことになる。このやり方では学力は伸びません」

 こうした問題について、工藤氏は「目的と手段を履き違えている」と語る。

 学校は社会で活躍する人材を育てる場所である。そのことは多くの教員が認識しているはずなのに、気づけば学校にとって都合の良い生徒を作ろうとしてしまう。宿題をやらせることが目的になっているのはその典型例なのだという。

 手段が目的化している例は他にもある。学習指導要領で定められた道徳や総合学習の時間を埋めるために作文や目標を頻繁に書かせたり、学級新聞の制作に協力することそのものが目的になっていたり。

「作文にちゃんと取り組まない生徒はダメ、学級新聞の制作に協力しない生徒はダメだと言われます。でも本来考えなければいけないのは、『その新聞、本当に誰かが読むの?』『何のために書くの?』ということ。これからの時代はむしろ『こんなの必要ないじゃん』と言える子が必要なのに、教育現場では真逆のことをしているわけです」

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