使えない上司・使えない部下

2018年1月15日

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吉田典史 (よしだ・のりふみ)

ジャーナリスト・記者・ライター

ジャーナリスト。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。
主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、
震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

 今回と次回は、元プロレスラーのキラー・カーンさん(本名・小澤正志)を取材した。1970年に大相撲を廃業し、71年に日本プロレスに入門。73年に新日本プロレスに移籍後、191センチ、135キロの大型選手として頭角をあらわす。

 77年からは海外武者修行でメキシコへ、79年からアメリカで試合を繰り返す。アンドレ・ザ・ジャイアントやジャック・ブリスコ、ダスティ・ローデス、ハルク・ホーガンなど、当時の全米トップレスラーと激戦を展開。

 ヒール(悪役)として広く知られ、アメリカでは人気・実績で日本人レスラー・ナンバー1になる。

 日本では、新日本や全日本のマットで活躍するが、87年に突然、プロレス界から姿を消した。現在は、飲食店「キラーカンの店 居酒屋カンちゃん」(新宿区大久保)をJR新大久保駅そばで営む。歌手としてもデビューし、2017年には『"蒙古の怪人" キラー・カーン自伝』(辰巳出版)を著し、突然の引退劇の裏側などを明らかにした。

キラー・カーンさん

俺は小鉄さんみたいな人が「いい上司」と言うと思うんだ

 俺は、日本のプロレス界が大嫌いなんだ。(1987年に)プロレスを離れて30年近くがたつ。この間、復帰したいと思ったことは1度もない。俺は大相撲の力士を(70年に)廃業し、(71年に)日本プロレスに入門した。その頃、付き人をしていたのが、吉村道明さんだった。あの人は引退した後、もう戻ることはなかった。俺が「上司」として尊敬する人を挙げるならば、吉村さんだ。いい人だった…。

 吉村さんの後は、坂口(征二)さんの付き人をするように会社から命じられた。俺は、この人のことをうやまうなんてできない。向こうも、俺のことを嫌いなんだろうけど…(苦笑)。

 日本プロレスから(アントニオ)猪木さんが独立し、新日本プロレスを設立した。(ジャイアント)馬場さんも独立し、全日本プロレスをつくった。俺は、馬場さんについていこうと思っていた。坂口さんが日本プロレスを辞めて、猪木さんについていくことになった。俺は、坂口さんの付き人をしていたこともあり、(73年に)新日本へ行かざるを得なくなったんだ。

 猪木さんや坂口さんが経営していた頃の新日本を、俺はよく思っていない。(2人を経営面から支えていた)新間(寿)さんも入れて、3人だな…。

 山本小鉄さんや、北沢幹之さんは立派なんだ。あの人たちは、尊敬できる。小鉄さんは一直線の気質で、猪木さんや坂口さん、新間さんにもいろいろと言っていたみたいね。若い選手の言い分をくみとって、言ってくれるんだ。プロレスの世界で「上司」とはあまり言わないけど、俺は小鉄さんみたいな人を「いい上司」と言うと思う。

 小鉄さんが亡くなったとき、悔しくてね。あの人は俺がプロレスを離れた後も時々、店に来て、「小澤、元気か!」と声をかけてくれる。俺、新日を否定して離れたんだよ。小鉄さん、当時、新日にいたんだ。ふつう、こういう場合、俺のところへ来ないよ。それでも、「小澤、元気か!」と来てくれるんだ。

 小鉄さんの家族がこの前、俺の店に来てくれた。あの頃の話をされると、悔しくなったな。小鉄さんは、いい人よ。本当にいい人。

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