使えない上司・使えない部下

2018年1月15日

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吉田典史 (よしだ・のりふみ)

ジャーナリスト・記者・ライター

ジャーナリスト。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。
主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、
震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

長州と同じ職業をしていることが嫌だった

 その後、(ジャパンプロレスが全日本と業務提携したことで)俺は(85年から)日本では、全日で試合をすることになった。(ジャンボ)鶴田が、俺のことを「キラー・カーンはあの顔だから、アメリカでトップに立つことができた」とプロレスの雑誌で答えていた。この選手も、人間性は3流だなと思ったよ。

 俺はヒールだし、観客がアメリカ人だから、鏡を見ながら自分の表情を研究していたんだ。あの頃は、あえて怖くしていたんだ。夜寝るとき、鏡を出して、毎日、見て、憎まれる顔を研究していたんだよ。そんなことも知ろうとしない、あの男の人間性を俺は疑う。

 鶴田も、馬場さんがひいたレールのうえを走っていただけでスターになった。実力とは別に…。当時、ファンの中には「鶴田が最強のレスラー」と言う人たちがいたようだが、俺から言わせれば笑っちゃうね。ただね、鶴田にはいいところもあった。スタミナと体の柔らかさ…。

 新日を辞めたわずか2年後に、突然、長州は全日を離れ、新日へ戻る。猪木さんや坂口さんをさんざんと否定しておいて、また戻るんだ。長州は当時、ジャパンプロレスの社長だったはずだ。裏切った会社(新日本)に戻るなんて、俺には信じられなかった。

 俺が(87年に)プロレスを離れた理由はいくつもあるけど、1つはこんなところだよ。(選手として実績・人気は)ピークだったから、あと何年かは現役で試合はできたんだろうけど。長州と同じリングに上がることはなくとも、同じ職業をしていることが嫌だった。

 最近、何十年ぶりに、新間さんと会った。突然、知人を連れてこの店に来た。(新間さんが)本を出したみたいで、俺のことを2~3ページ書いたと言うんだ。

 俺が「帰ってくれ」と言ったら、知人は「新間さんが会いたいと言っているから…そんなこと言わないでよ」と言う。仕方がないから、俺は新間さんと会った。「あの頃の俺のギャラはどうなったんですか? 当時、あれほどに儲かっていたのにどうなっているのですか?」と聞くと、しらばくれているようだった。

 俺が店の奥のトイレに行って(入口に)戻ってきたら、新間さんと知人はもういない。知人だけが戻ってきて、「ご祝儀」と書いた封筒を俺に渡した。そのあたりのコンビニエンスストアで買った封筒に、3万円が入っていた。

 今回のインタビューでは、俺は「猪木さん」「坂口さん」「新間さん」と「さん」で呼んだけど、本当は呼び捨てにしたかった。

 (⇒後編へ続く)
 

  
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