使えない上司・使えない部下

2017年11月28日

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 今回は、高精度工業用センサの開発・製造・販売をする㈱メトロール(東京都立川市、127人)の松橋卓司社長を取材した。

 ユニークな採用試験を行うなど、独自の人事マネジメントの施策を次々と試みる。かつては、サラリーマンとして上司との関係に悩んだこともあるという松橋社長に、「使えない上司・使えない部下」について伺った。

松橋卓司社長

説得しようなんて思わないこと

 部下の能力に嫉妬する上司は最悪だと思います。私は会社員の頃、そのような上司に仕えたとき、ずいぶんと悩みました。現在、メトロールには130人近い社員がいますが、彼らにそのような思いだけは絶対にさせたくないと思っています。

 私は大学卒業後、一部上場の大手食品メーカーの営業部に10年ほど勤務しました。その後、叔父が社長をしている社員250人規模の、潰れかけていた食品会社に転職したのです。

 今から思えば、30代前半で血気盛んな頃だからこそできた決断だったのでしょうね。大手食品メーカーに入社し、6年が過ぎたあたりから、大企業の看板と仕組みの中で、分業化された仕事をすることに疑問を感じはじめていたのです。

 そんな時、赤字の会社を買収し、工場に泊まりこんで会社を再建しようとしていた叔父の姿に感動したのです。大手食品メーカーから、資金繰りに苦しむオンボロ会社に転職を決断したのです。

 始めの1年間は、単身で24時間操業の工場に泊まり込む再建の日々でした。営業と製品開発の責任者として、様々な改革を試みました。それまでの会社は「大量生産でモノを作り、低価格戦略でシェアをとる」という方針で社員たちは仕事をしていました。

 しかし、そんな売上至上主義では、自転車操業の苦しい状況から抜け出せないと思ったのです。原料調達ルートから製造方法、価格、営業態勢、営業方法、得意先などを変え、付加価値のある製品の販売へと、転換をはかっていったのです。

 自分の営業スタイルを変えようとしない社員もいました。「おいしい製品がないから売れないんだ」と会社に文句を言っていた、中高年の営業社員は積極的な販売活動をしようとしないのです。実際に品質の良い製品が製造できるようになっても…。

 しかたなく、私は営業経験のない若い社員と、高品質な新製品をゼロベースで新しい顧客に売り込んで行きました。このとき、痛感したのです。クオリティの高い製品は、顧客を説得する前に、売ろうとする我々が製品の本質を勉強し、腹の底から理解しなければ売れないのだ、ということ…。

 それまでこの会社は低価格、大量販売の文化でした。その営業経験に慣れて、色のついた社員は、なかなか自身の営業スタイルを、変えることはできないのです。

 中高年の営業社員が結果をだせずに辞めていき、先入観念がない、若い社員が新製品の販売に活躍していくようになりました。会社の業績もしだいに回復し始めたのです。

 皮肉なことに、業績が良くなるにつれて、上司である社長の叔父と、経営のあり方などをめぐり、意見が合わなくなることが増えたのです。会社の規模が拡大するとともに、品質に対する社会的責任や、資金調達の問題が大きくなりました。

 特に食品の場合は、人身事故につながるような、大きな製品クレームを出してしまえば、あっという間に会社が壊れてしまいます。会社の規模が大きくなれば、なるほど、製品事故を防ぐため、クレーム防止の再設備投資が必要になっていくのです。

 そのためには、金融機関に事業計画を示し、規模を拡大するために運転資金や設備資金の調達交渉が、新たな仕事として増えていきました。しかし、プライドの高い社長は、「儲からない品質管理にお金を使いたくない!金融機関に頭を下げて資金交渉をしたくない!」の一点張り。しかたなく、私が資金調達の対外交渉も引き受けることになりました。

 このことが、社長との関係をさらに悪化させます。安心で安全な食品会社を目指し、金融機関や取引先との難しい交渉の窓口に立ち、成果をあげるほどに、社長からの嫉妬は厳しさを増し、私の心は暗くなっていきました。

 私にとって仕事は生きることそのものです。会社を思い、一生懸命に仕事をして成果をあげることが使命であり、やりがい、幸せにつながると思いこんでいました。しかし、感情を持つ人間が営む世の中は、それほどに単純ではないということを学んだのです。

 大学の専攻から足掛け20年、食品業界でメシを食ってきました。そのキャリアを捨てるのは悔しかったですが、小さくても良いから、まっとうな経営者の元で働きたいと強く思うようになりました。

 1998年、40歳の時に失意のうちに退職することになりました。

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